「鉄のカーテン(Iron Curtain)」という言葉を最初に使用したのは、イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルです。1946年3月5日、彼はアメリカ・ミズーリ州フルトンのウェストミンスター大学で行った演説の中で、この表現を用いてソビエト連邦と東欧の衛星国による分断を描写しました。この演説は後に「フルトン演説」と呼ばれ、冷戦の始まりを告げる歴史的なスピーチとして知られています。
チャーチルの有名な一節
チャーチルは演説の中で、次のように述べました。
「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、大陸を横断して一本の鉄のカーテンが降ろされた」
この言葉は、ヨーロッパ大陸が共産主義陣営と西側民主主義陣営に物理的にも思想的にも分断された現実を、鮮烈なイメージとして表現したものです。
「鉄のカーテン」が持つ意味
この表現は瞬く間に西側メディアに取り上げられ、東側諸国(東側ブロック)と西側諸国(西側ブロック)を隔てる冷戦の分断を象徴する言葉として定着しました。「鉄のカーテン」は単なる比喩にとどまらず、国境の封鎖、情報の遮断、人々の移動の制限といった、東西対立の実態を的確に表す言葉となりました。
その後、「鉄のカーテン」は1989年のベルリンの壁崩壊、そして1991年のソビエト連邦の解体に至るまで、半世紀近くにわたってヨーロッパの東西分裂を語るうえで欠かせないキーワードであり続けました。