「砂糖は力の源」――ポーランド広告史に残る伝説のコピー
戦間期(両大戦間)ポーランドで最も有名な広告コピーといえば、作家メルヒオール・ヴァンコヴィチが生み出した「砂糖は力の源(Cukier krzepi)」でしょう。しかし第二次ポーランド共和国の時代、砂糖は決して誰もが気軽に買える商品ではありませんでした。
投機屋と消費者の攻防――1922年の砂糖騒動
戦争で荒廃した農業と製糖業界は、当初、市場に十分な量の砂糖を供給できませんでした。1922年8月、日刊紙「イルストロヴァヌイ・クーリエル・コジエンヌイ」は、ワルシャワで一週間にわたり繰り広げられた、砂糖の価格をめぐる投機業者と消費者の激しい攻防について次のように報じています[表記は現代風に改変]。
「当初、投機屋たちは砂糖を完全に隠し持っていた。やがて少しずつ放出し始めると同時に価格をつり上げた。これが世論の怒りを買い、報道機関の活発なキャンペーンが展開され、ついには当局が介入。砂糖投機屋たちの黄金時代は幕を閉じたのである」
「各地で捜索が行われ、隠し蔵が発見されては押収され、投機屋たちは法廷に送られた。こうして砂糖は元の正常な価格、すなわち1キロ650マルクで売られることになった。クラクフでも同じ話が繰り広げられている。砂糖が手に入らないか、あるいは割高になるか――一部の店では1キロ850マルクもの値段がついていたのだ」
こうした高価格に対処するため、大規模な広告キャンペーンが展開されることになりました。その産物こそ、戦間期のみならず20世紀全体を通しても最も有名なポーランドの広告コピー、「砂糖は力の源」なのです。
庶民には手の届かないポーランドの砂糖
時が経つにつれ供給状況は改善しましたが、平均的な市民にとって価格は依然として法外なものでした。その理由は、砂糖に重い物品税が課されていたからです。しかもそれは象徴的な負担などではなく、100キログラムにつき37ズウォティという高額でした。この税収は国家財政にとって無視できない規模に達していました。
1935/36年度の予算だけで、その収入は1億2200万ズウォティに上りました。当時の道路建設・維持費の予算を上回る金額です。余談ですが、戦間期にはサッカリンやドゥルシンといった甘味料の販売は税務当局の許可がある場合に限られ、しかも治療目的(糖尿病患者向け)または科学的目的にのみ使用できるとされていました。
こうした政策の結果、1928年のワルシャワでは砂糖1キロが1.56ズウォティもしました。現在の価値に換算すると、なんと約15ズウォティに相当します!他の都市でも安くはなく、ウィルノやリヴウではさらに2グロシュ高かったのです。
比較のために挙げると、当時、独身の高校教員(勤続3年未満)の月給は301ズウォティでした。簡単に計算すれば、その教員は月給で約200キロの砂糖を買えたことになります。一方、現代の実習教員なら同じ月給で610キロ以上を購入できます。戦前の教員が実際にかなり良い待遇を受けていたことを考慮すれば、この差は考えさせられるものがあります。
輸出向けには破格の安値で
世界恐慌の勃発さえも、国内価格を大きく下げることはありませんでした。1930年、国内の平均価格は1キロあたり1.41ズウォティだったのに対し、同じ砂糖がイギリス向けには(換算して)わずか17グロシュで販売されていたのです。
これは、貿易収支の改善を狙ってポーランド政府がダンピング価格を採用したためでした。カルテル化された製糖業界は、輸出で生じた損失を国内消費者への転売によって回収し、国内価格をつり上げ続けたのです。
砂糖の広告は、日刊紙・週刊誌・月刊誌のほぼすべての号に掲載されていました。上の画像は、戦前ポーランドの広告手法を示すいくつかの実例です。
1930年代後半には価格は1キロあたり約1ズウォティまで下がりました。しかし社会全体の貧困化が進んでいたため、砂糖は依然として、より裕福な市民だけが手にできるほぼ贅沢品とみなされていました。
まとめ――「砂糖は力の源」の真実
総じて言えば、ヴァンコヴィチの言葉は正しかったと言わざるを得ません。砂糖は確かに力の源です。しかし、戦前ポーランドの多くの市民は、その効能を日常の中で実感する機会すらなかったのです。今後また「砂糖が高い」という話を耳にするときは、ぜひこの歴史を思い出してみてください。
参考文献:
- 「農村で子どもを養うのに1日27グロシュ」、Dziennik Poranny、1938年5月15日、第111号、1ページ。
- 簡潔統計年鑑、1938年。
- M・アルクト現代図解百科事典、ワルシャワ〔1937年〕。
- 「砂糖投機屋を抑え込め!」、Ilustrowany Kuryer Codzienny、1922年8月14日、第218号、6ページ。
- 「教員給与は全国平均より速く上昇」、Money.pl、2010年9月1日。
- ポーランド共和国統計年鑑、1929年。
- イェジ・トマシェフスキ、ズビグニェフ・ランダウ著、『ヨーロッパと世界におけるポーランド 1918-1939』、ワルシャワ、2005年。