ロバート・E・リーが北伐を決意した4つの理由
1862年秋、南軍の名将ロバート・E・リー将軍が北軍の領内であるメリーランド州への侵攻を決断した背景には、複数の戦略的な狙いがありました。
1. 首都リッチモンドの防衛
リーは、メリーランドへの侵攻によってワシントンD.C.に駐留する北軍を引きずり出し、その結果として南軍の首都であるバージニア州リッチモンドを北軍の攻撃から守ろうと考えていました。
2. 欧州列強からの支持獲得
北部領内での作戦に成功すれば、イギリスやフランスがアメリカ南部連合の独立を承認し、さらには直接的な軍事支援を行う可能性がある――リーはそう確信していました。
3. 南部の士気高揚
北への侵攻作戦は、南軍兵士の士気を高めるだけでなく、新たな志願者を南部の大義へと結集させる効果も期待されていました。
4. 決定的な会戦の追求
第二次ブルランの戦いで勝利を収めた後、リーはポトマック軍を自軍が選んだ地形での野戦へ引き込み、決定的な勝利を目指していました。この勝利によって南部連合の立場を強化し、有利な条件での終戦交渉につなげる狙いがあったのです。
アンティータムの戦い――侵攻の帰結
アンティータムの戦いは、リーによるメリーランド侵攻と、それに続く北軍ポトマック軍との一連の衝突の結果として発生しました。
この戦いは1862年9月17日、メリーランド州シャープスバーグ近郊で行われ、アメリカ史上最も犠牲者の多い単一日の会戦の一つとなりました。南北両軍は互いに決定打を欠いたまま膠着状態に陥り、リーは最終的にバージニアへの撤退を余儀なくされました。
戦術的には決着こそつかなかったものの、この戦いは南北戦争の行方を左右する重大な結果をもたらしました。
1. 南軍の北上阻止
アンティータムの戦いは、リーによる北部侵攻を事実上食い止め、首都ワシントンD.C.を潜在的な攻撃の脅威から守ることに成功しました。
2. 奴隷解放宣言の発布
リンカーン大統領はこの戦果を機に、1862年9月22日に奴隷解放宣言を発布。南部連合支配下の諸州におけるすべてのアフリカ系アメリカ人奴隷の自由を宣言し、戦争の性格を大きく転換させました。
3. 外国介入の抑止
北軍が戦略的勝利を収めたことで、欧州列強は南部連合の勝利の見込みが薄いと判断し、南部側に立った戦争介入を思いとどまることになりました。