アフリカの歴史

NAACP(全米有色人種地位向上協会)はなぜ設立されたのか?その歴史的背景を解説

設立の経緯

NAACPの共同創設者の一人であるメアリー・ホワイト・オヴィントンは、アフリカ系アメリカ人が日常的に直面していた暴力に深い衝撃を受けていました。当時、全米各地で発生していた組織的な人種暴力に対処する団体が存在しないことに着目した彼女は、オズワルド・ギャリソン・ヴィラードに対し、この問題に取り組む新たな組織を立ち上げることを提案しました。ヴィラードはこれに賛同し、ボストンの富裕な弁護士であるムーアフィールド・ストーリーの協力を取り付けました。

全米有色人種地位向上協会(NAACP)は、1909年2月12日、W・E・B・デュボイス、ヘンリー・モスコウィッツ、メアリー・ホワイト・オヴィントン、アイダ・B・ウェルズ=バーネット、ウィリアム・イングリッシュ・ウォーリングといった知識人、活動家、慈善家からなる多民族のグループによって共同設立されました。同協会は、南部におけるアフリカ系アメリカ人の選挙権剥奪や、当時アメリカ全土に蔓延していた人種差別と暴力への対応として生まれました。創設者たちは、米国政府がアフリカ系アメリカ人の公民権を保護することに失敗したと考え、「すべての人々の政治的、市民的、社会的、経済的な平等な権利を確保し、米国市民の間の人種的偏見を排除する」ことをミッションとして掲げました。

同協会の設立は、1908年のスプリングフィールド人種暴動の直後のことでした。これは20世紀初頭に頻発した数多くの暴力的な騒乱の一つであり、広範な報道がなされました。NAACPの最初の公開会合となる「ナイアガラ運動に関する会議」は、1909年5月にニューヨーク市で開催され、著名なアフリカ系アメリカ人を含む約60名が参加しました。会議ではアフリカ系アメリカ人が直面する課題が議論され、NAACPの目標が明確に示されました。

法務部門の設立と公民権運動への貢献

1910年には法務部門が設立され、以降、差別的な法律や慣行への法的挑戦において中心的な役割を果たすことになりました。法務部門の最初の主要な訴訟となったのは「Guinn v. United States」(1915年)です。この裁判で連邦最高裁判所は、南部諸州がアフリカ系アメリカ人の選挙権を奪うために用いた「祖父条項(グランドファーザー条項)」が違憲であるとの判決を下しました。

さらにNAACPは、1964年の公民権法および1965年の投票権法の成立においても重要な役割を果たし、アメリカにおける公民権運動の歴史を牽引し続けてきました。