アフリカの歴史

バージニアには何人の奴隷が来たのか?1619年〜1700年代初頭の実数と歴史的背景

1619年から1700年代初頭にかけて、イギリス植民地北アメリカに上陸したアフリカ系の人々は、およそ5,000人から7,000人と推定されています。この数字は、アメリカにおける奴隷制の歴史の初期段階を示す重要な指標です。

バージニアへの最初のアフリカ人たち

1619年8月、私掠船「ホワイト・ライオン号」がバージニア植民地のポイント・コンフォートに到着し、「20人余りの黒人(20 and odd Negroes)」を降ろしました。これが、現在のアメリカ合衆国領土におけるアフリカ人強制移住の最初の公式記録とされています。

当時の彼らは、白人の年季奉公人とほぼ同様の扱いを受けることもありましたが、17世紀が進むにつれて法律によって終身奴隷としての地位が固定化され、子孫までもが奴隷身分を受け継ぐ制度へと変わっていきました。

5,000〜7,000人という数字の背景

17世紀中は、北米に運ばれた奴隷の数は限られていました。タバコ・プランテーションの労働力としては、年季契約で渡航してきたヨーロッパからの移民が中心だったためです。その結果、1619年から1700年代初頭までの約100年間に、バージニアを含む北米イギリス植民地に上陸したアフリカ人は5,000〜7,000人程度にとどまりました。

18世紀以降の急増

1700年代に入ると状況は一変します。年季奉公人の供給が減少し、プランテーション経済が飛躍的に拡大するにつれ、アフリカからの奴隷貿易が急速に拡大しました。バージニアでは1720年代以降、アフリカから直接奴隷船が入港するようになり、18世紀だけでも数十万人規模のアフリカ人が強制的に連れてこられることになります。

まとめ

1619年の最初の到着から1700年代初頭までの間に、北米イギリス植民地に上陸したアフリカ系の人々は約5,000〜7,000人でした。この数字は後の大規模な奴隷貿易の時代と比べれば小さいものですが、アメリカにおける奴隷制の歴史の出発点を示す、極めて重要な事実といえます。