日本が好きな外国人に「日本の良いところは何?」と聞くと、最も多く返ってくる答えが「治安の良さ」です。
私たち日本人にとっては当たり前すぎて実感こそ薄いものの、そもそも日本はなぜこれほど安全な国になったのでしょうか。その答えの一つは、戦国時代から続く「武器規制の歴史」に隠されていると言われています。
日本とアメリカ、対照的な銃規制
現在の日本の治安は、戦国三英傑の一人である豊臣秀吉が行った刀狩りのおかげだ、と語られることがあります。
戦国時代における刀は、現代でいうところの銃のような存在でした。しかし日本では、ごく限られた人しか銃を所持・使用できず、世界でも類を見ないほど厳しく規制されています。
一方アメリカでは、1999年にコロラド州のコロンバイン高校で生徒2人が銃を乱射し13人が死亡する事件が発生。銃規制を求める声が高まりましたが、賛否両論は平行線のまま、議論は今日まで決着していません。
世界で最も銃規制が厳しい日本と世界で最も銃規制が緩いアメリカ。この極端な違いには、それぞれの歴史的背景が深く関わっているのです。
開拓時代のアメリカでは国土が広大すぎて保安官だけでは治安を維持できず、人々は自らの手で家族や財産を守る必要がありました。さらに先住民との衝突に備えて、誰もが銃で武装していたとも言われています。こうした背景から「銃を持つ自由」はアメリカ人のアイデンティティの一部となり、今日まで受け継がれてきたのです。
豊臣秀吉の刀狩りとは?
一方の日本では、1588年(天正16年)、豊臣秀吉が農民の一揆を防ぐ目的で武器の回収を行いました。これが有名な刀狩りです。
刀狩りといえば秀吉というイメージが非常に強いですが、実は日本初の刀狩りはそれより古く、鎌倉時代の1228年、北条泰時が高野山の僧侶に対して行ったものが最初だと言われています。
秀吉の刀狩りで本格的に始まった武器規制は、江戸幕府にも引き継がれました。さらに明治維新後の1876年(明治9年)には、軍人・警察官など制服着用者以外の帯刀を禁じる廃刀令が公布されます。
この廃刀令は腰に刀を差す「帯刀」を禁じるもので、所持そのものを禁じたわけではありませんでした。しかし武士にとって刀は実用的な装備というより身分証明の意味合いが強かったため、廃刀令は武士の特権を否定するものとなり、士族の強い反発を招きました。
戦後、GHQによる「銃剣没収」!?
1945年、第二次世界大戦の終結後、進駐したGHQは「銃砲等所持禁止令」を発布し、狩猟や競技用の銃器、美術品としての刀剣以外の所持を禁じました。この結果、全国で約300万丁の銃と刀が接収されたと言われています。
当時、鉄砲までも切り裂く日本刀の切れ味に驚嘆した米兵が「日本の刀、ヤバイわ〜」と口々に絶賛していたとか(※実際にそう発言したかは定かではありませんが、とにかく称賛していたようです)。ただ、この刀剣接収により、数多くの名刀が海外へ流出してしまったのも事実です。
こうしたGHQの刀狩りを経て、現在の銃刀法が整備され、世界でも類を見ない「銃から遠い国」が形成され、今日の高い治安が生まれたのです。
秀吉はなぜ刀狩りを行ったのか
もともと農民出身だった秀吉は、武装した農民の恐ろしさを誰よりも理解していた人物だと考えられます。
当時の戦国大名は一戦国大名は一揆との戦いにしばしば苦しめられており、秀吉自身も織田信長の家臣として、伊勢長島一向一揆や北陸での一向一揆攻めに多大な苦労を強いられてきました。
本能寺の変後の山崎の合戦で秀吉に敗れた明智光秀は、秀吉の手ではなく、落ち武者狩りを行う武装した農民たちの手にかかって命を落とした、と伝えられています。秀吉が刀狩りを実施したのは、こうした農民集団の脅威を肌で知っていたからだ、という見方もあるのです。
まとめ:刀狩りがつくった「銃のない国」
学校の歴史の授業では「秀吉は農民の一揆を防ぐために刀狩りを行った」と、深く掘り下げられることなく軽く流されてしまったのではないでしょうか。しかし銃社会となったアメリカの現状を見れば、刀狩りは良くも悪くも現代にまで影響を及ぼした重大な出来事だと言えます。ぜひこのあたりの歴史も授業で教えてほしいところです。
日本が銃社会にならなかったのは、秀吉の刀狩り以降、民衆が武器を持つ機会がなかったからだと考える人もいます。
もちろん現在の治安は、秀吉の刀狩りが直接もたらしたものではなく、戦後GHQによる「銃砲等所持禁止令」が最大の要因でしょう。しかし、秀吉の刀狩りが「民衆は武器を持たないのが当たり前」という感覚を国民の中に定着させたことを思えば、400年以上の時を超えて、今の日本の平和に少なからず貢献しているのかもしれません。