アジアの歴史

鎌倉時代の建築・文学・文化の特徴|鎌倉文化をわかりやすく解説

平安時代の国風文化や、室町時代の北山文化・東山文化はよく耳にしますが、その間にある鎌倉時代の文化については、意外と馴染みが薄いという方が多いのではないでしょうか。

鎌倉時代といえば武家政権による政治、幕府や執権の話題が中心になりがちで、建築や絵画といった文化面はあまり語られる機会が少ないのが現状です。

そこで今回は、鎌倉時代の文化についてわかりやすくまとめました。

鎌倉文化とは?

鎌倉時代の日本文化は「鎌倉文化」と呼ばれます。12世紀後半に鎌倉幕府が開かれてから、14世紀前半に幕府が滅亡するまでの時期に花開いた文化です。

鎌倉時代は日本初の武家政権が本格的に動き出した時代であり、日本文化における大きな転換点となりました。

武士の台頭とともに、それまで支配者だった貴族の力は衰退していきます。しかし一方で、武士に仕えて利益を得ようとする官人や僧侶も現れました。中には中央政界ではなく、地方の武士階級に仕える者さえいました。

このように統治者が貴族から武士へと移り変わったことで、日本文化にも大きな変化が起こります。伝統を受け継ぎながらも新しい文化を積極的に取り入れ、庶民の感覚を反映した豊かな文化へと発展していったのです。

鎌倉文化の特徴

鎌倉文化の最大の特徴は、武士が中心となって新しい文化を取り入れ、庶民の感覚が色濃く反映されている点です。特に中国(宋)の文化が盛んに取り入れられました。

当時の中国大陸では民族間の差別が横行しており、多くの人々が日本へ亡命してきました。日本人はそうした渡来の人々から新しい文化を吸収していきます。

亡命者のなかには僧侶も多く、13世紀から14世紀にかけて日本で新しい仏教宗派が次々と誕生したのは大きな特徴です。日蓮宗・浄土宗・浄土真宗など、誰もが名前を知る宗派の多くがこの時期に形成されました。

こうして他の新しいものを積極的に受け入れることで発展した鎌倉文化。その代表例が建築・文学・絵画です。

鎌倉時代の建築

鎌倉時代の建築を代表するのが東大寺です。東大寺は奈良時代に創建されましたが、平重衡の兵火によって焼失し、鎌倉時代に再建されました。

再建は後白河法皇の勅許のもと、源頼朝の支援を受けて行われた大規模な一大事業でした。

鎌倉時代の建築には大きく分けて二つの特徴があります。ひとつは外部から取り入れた新様式、もうひとつは古来日本に伝わる和様です。

新様式(大仏様・禅宗様)

新様式は、海外から取り入れられた新しい建築様式です。新様式には二種類あり、「大仏様」と「禅宗様」と呼ばれ、それぞれ異なる時期に用いられました。

大仏様

大仏様を代表するのが東大寺の再建です。東大寺の再建にあたっては広く勧進を行って再建資金を募り、日本在住の中国人工匠の協力を得て、短期間で工事を進められる工法が採用されました。このとき用いられた建築技法が「大仏様」です。

大仏様の最大の特徴は、大陸的な雄大さと豪快な力強さにあるといわれています。しかし、鎌倉以前の建築が優美さを重んじていたこともあり、斬新な大仏様はなかなか受け入れられず、継承者が減って衰退していきました。

禅宗様

禅宗様は鎌倉時代中期ごろに伝わりました。衰退した大仏様に代わって取り入れられた新様式だといえます。

禅宗寺院の建立に用いられたことから「禅宗様」の名で知られるようになりました。中国の王朝・北宋の影響を受けた様式で、鎌倉文化中期には中国の寺院建築の導入とともに多く使われています。

大仏様と共通する点もあるため、「鎌倉新様式」と総称されることもあります。禅宗様の最大の特徴は、屋根の反りが強いことです。現在では寺院建築の伝統様式のひとつとして位置づけられています。

和様

和様は、鎌倉文化で新たに導入されたものではなく、それ以前から日本に伝わる古来の様式です。

禅宗様が屋根の反りを強く持つのに対し、和様は緩やかな屋根と柔らかな軒の反りが特徴です。奈良県の興福寺は、鎌倉文化のもとで建てられた代表的な建造物のひとつです。

鎌倉時代の文学の特徴

武家政権が始まった鎌倉時代は、文学の世界にも大きな影響を与えました。

武士が活躍する物語である軍記物語が流行しましたが、公家たちは武士が主役となる書物を敬遠する傾向がありました。しかし、その反動から優れた歌人たちが登場することになります。

軍記物語の代表作としては『平家物語』が有名です。仏教の根本思想である無常観を軸とした物語です。

一方、歌壇でも負けていなかったのが後鳥羽上皇です。後鳥羽上皇は『新古今和歌集』を撰進させ、文学や芸術を隆盛させることで自らの存在意義を高めようとしました。

鎌倉後期になると、これらの和歌は庶民や僧侶のあいだでも詠まれるようになります。また、公家のあいだで流行していた和歌とは少し異なり、複数人で和歌を連ねていく「連歌」も生まれました。

このほか、鎌倉幕府の歴史を記した『吾妻鏡』、日記や紀行文学では『十六夜日記』や『東関紀行』なども、鎌倉時代を代表する作品として知られています。

鎌倉時代の絵画の特徴

鎌倉時代の絵画を代表するのは、平安時代から続く絵巻物です。絵巻物は横長の紙を水平につなぎ合わせ、風景や物語を表現した作品で、仏教説話や合戦などが題材とされました。

鎌倉時代最大の特徴は、人物の肖像画が描かれるようになったことです。当時、人物の肖像画は似絵(にせえ)と呼ばれていました。代表作には後鳥羽上皇像などがあります。

合戦を描いた絵巻で有名なのは『蒙古襲来絵詞』です。肥後国の武士・竹崎季長が、自らの戦功を後世に伝えるために描かせたといわれています。

工芸分野でも新たな作品が誕生!

武士の時代でもあった鎌倉時代には、工芸の分野でも新しい動きがあり、甲冑の製作が盛んになりました。なかでも甲冑は勝利を祈願して神社に奉納する風習があったため、今日まで良好な状態で残されているものが多いといわれています。

また、この時代には「名刀」と呼ばれる刀剣が数多く作られ、現在も大切に保存されています。

名だたる名工といえば、長船派・来派・青江派・福岡一文字が有名です。なかでも備前長船派の光忠、鎌倉の正宗・景光はよく知られています。長船の光忠といえば、伊達政宗が所持していたことで知られる燭台切光忠が有名ですね。

鎌倉文化のまとめ

鎌倉時代の文化は、平安時代の貴族文化を受け継ぎながら、武士や農民階級の価値観を取り入れた点が大きな特徴です。

それまで京都の公家や僧侶たちが独占してきた文化が、しだいに武士や農民へと解放され、庶民の文化として定着していきました。地方の武士たちが京都や鎌倉を行き来するうちに、中央の文化が地方へ広まり、庶民の文化が育っていったのです。

新しい仏教の誕生、文字の読めない人々にも親しまれた軍記物語の流行、物語を絵で描く絵巻物の発展などは、その好例といえます。

また、従来の公家文化のように「新しいものは悪」とする風潮はしだいに消えていきました。そのため、平安時代のような華やかな文化は生まれませんでしたが、実用性に富んだ文化を作り出した武士たちが、力強く躍動感あふれる文化をもたらしました。武士らしい力強い建築や、東大寺の仁王像のような迫力ある作品が数多く生み出されたのです。