学校の授業では歴史は授業でしか覚えられない気がします。予備校の先生は、自分が学びたい分野について知識がない、または知識が少ない場合は、まずその分野の全体像を把握する必要があると言っていました。
各科目の概要をある程度掴むことができれば、より詳細な知識を学ぶことができるようです。日本の歴史に関しては、まず概要を理解することが重要です。あとは教科書の内容を理解するのが良いでしょう。
ということで、日本史の古代から平成、令和までをご紹介していきます。
日本の歴史の流れをつかむ
旧石器時代~古墳時代
~ 7 世紀- 紀元前 14000 年頃の旧石器時代の人類は、狩猟と野生動物の狩猟と氷河期の時代でした
- 紀元前 14000 年~紀元前 10 年 縄文時代 縄文人は縄文土器を使用して竪穴式住居に住んでいました。 リ>
- 紀元前4世紀から紀元前3世紀頃に弥生時代の大陸から稲作が伝わり、稲作が始まりました。高床式倉庫に保管されており、弥生土器を使用していました。邪馬台国が誕生し、卑弥呼が国を治め、中国大陸の魏から金印を授けられました。
- 3 世紀から 7 世紀頃 古墳時代 日本中のクニが一つのヤマト政権となり、貴族たちは墳墓を築くようになりました。
飛鳥時代
592 ~ 710 年- 6世紀後半から7世紀前半 聖徳太子(しょうとくおう)と蘇我氏が活躍。
- 600 ~ 618 小野妹子は隋に使者を派遣したことで有名です。遣隋使として中国大陸へ渡った。
- 645 年、大富皇子と中臣釜下は蘇我蝦夷と蘇我入鹿を滅ぼし、国政を改革します。この一連の出来事を大化の改新といいます。
- 672 壬申の乱 日本最古の内乱、天皇の皇位継承問題。勝利した天武天皇が即位します。
- 701年 大宝律令制定 日本初の大宝律令が制定。
奈良時代
710-794- 710年 平城京に遷都 平城京に都を移す。
- 741年、743年 聖武天皇の時代に天然痘が流行し、国分寺建立の詔、大仏建立の詔が出された。柴田永念は私有財産法を公布して初期の別荘の基礎を築きました。
- ~ 8世紀後半の権力変遷 藤原不比等→長屋王→藤原子子→橘諸兄→藤原仲麻呂→道鏡→藤原百川
平安時代
794 ~ 1185- 794 年に平安京に遷都 奈良時代に権力を持っていた既存の仏教勢力や貴族の勢力を削ぐため、水に恵まれた長岡京に都を移しましたが、長岡京への移住責任者が暗殺された。さらに不幸は続き、平安京に都が移されました。
- 8 ~ 9 世紀頃の藤原氏の台頭 政治の確立。
- 966 年から 1074 年まで 藤原北家の全盛期 藤原道長と頼通の繁栄は最高潮に達しました。
- 1086年 院政開始 白河天皇の父の代から皇后の親族は藤原氏ではなくなり、摂関家の影響力は低下した。したがって、白河天皇は幼い息子に譲って名誉となり、自ら親政をとるべきである。このような政治体制は院政と呼ばれた。
- 1156 年 保元の乱の後継問題と摂関家の内紛により、朝廷が後白河天皇と崇徳天皇に分裂、政変により両天皇の間で武力衝突が発生二人が勃発した。 ..
- 1159 年 平治の乱 源義朝と藤原信頼が手を組んで、保元の乱以降勢力を強めていた平清盛を倒す。
- 1167年史上初!武家政権の誕生 平清盛が太政大臣となり、日本初の武家政治が起こる。
- 1180 ~ 1185 年 源平合戦 6 年間にわたる内戦。平政権に対する反乱が起こり、やがて平政権は崩壊した。
鎌倉時代
1185-1333- 1185 年 源頼朝が護衛し、地頭を設置 頼朝は武士の頂点となる。
- 1192 年 鎌倉の地に幕府が開かれ、将軍に任命される。
- 1219 源氏の将軍は三代目と言えるほどの実力を持つ。
- 1221年 承久の乱の後、後鳥羽天皇が倒幕して承久の乱を起こすが敗北。 リ>
- 1232 年に制定された御成敗式目 御成敗式目は北条泰時が制定した武士と庶民のための法です。
- 1272年 朝廷は二系に分裂した天皇家が交互に皇位を継承する二国間体制に突入。 →若くして崩御した皇帝が出てくるのでややこしくなる。 リ>
- 1274/1281 モンゴル侵略勢力[元]が日本に侵攻。この時の権力者は北条時宗でした。
- 1297 年に発令された徳政令は、いわゆる借金帳消し命令です。鎌倉幕府9代守護北条貞時が発布した日本初の徳政令といわれています。
- 1331 ~ 1333 年 元弘の乱の宮廷の混乱をきっかけに、当時の後醍検査天皇の敵対勢力が幕府に迫りました。後大豆天皇が鎌倉幕府を倒して建国し、全国的に内乱が勃発する。
- 1333 年に鎌倉時代が終わり、鎌倉幕府が滅亡しました。
室町時代
1336 年から 1573 年まで- 1333 年 7 月 4 日 建武の新政が後大御天皇による親政を開始
- 1336 室町幕府が開かれる 足利尊氏が将軍となり、室町幕府が開かれます。建武式目が制定された年でもあります。 リ>
- 南北朝の始まり 幕府は北朝(後大御天皇が敵対していた体制)を支援した。後枝豆天皇が吉野に南朝を開く。
- 1369年、室町時代最盛期を迎えた三代将軍足利義満が就任し、各地の有力守護大名を平定し権力を掌握しました。
- 1441 嘉吉の変、守護大名赤松氏暗殺
- 1467 応仁の乱 細川勝元と山名宗全が権力を争う
- 1467年 - 戦国時代の始まり 下剋上が頻繁に下位者と上位者を入れ替えるようになり、戦国大名が誕生した。
- 1573 室町幕府が崩壊 織田信長が第 15 代将軍足利義昭を京都から追放
安土桃山時代
1573 ~ 1603 年- 1575 年 長篠の戦い 織田・徳川連合軍が強国武田勝頼を破り、武田は滅亡する
- 1582 年 本能寺の変 織田家の家臣、明智光秀が本能寺で織田信長を破る
- 1590 年 安土桃山時代 豊臣秀吉が天下を統一
- 1592 ~ 1997 年 豊臣秀吉による韓国軍の朝鮮半島侵攻
- 1598 年 豊臣秀吉死去 豊臣秀吉死去 徳川家康と石田三成の対立が表面化
- 1600 年の関ヶ原の戦い 関ヶ原で戦う徳川家康と石田三成
江戸時代
1603 ~ 1868 年- 1603 年 江戸幕府成立 徳川家康が将軍となり、江戸の地に幕府を開く
- 1615 年 2 代将軍徳川秀忠の諸法度制定
- 1636 年 3 代将軍家光の交代が制度化。隔離システムの完成。
- 1664 年 4 代将軍家綱家康 - 家光時代の武道政治から文民政治への移行 (7 代将軍家継まで)
- 1687 年、5 代将軍綱吉に対する慈悲の令が公布されました。 リ>
- 1716 ~ 1745 年 8 代将軍 徳川吉宗により幕政改革と享保の改革が行われる。育米、目安箱、くじ方長田巻
- 1772 老中と田沼意次が享保の改革に学び幕政を改革。株仲間さんの推薦など ...
- 1787-1793 老中 / 松平定信 田沼意次の死去により、松平定信の指導のもと寛政の改革が実施されます。
- 1841-43 老中/水野忠邦 貨幣経済の発展に伴い、幕府の再興を目指して天保の改革が行われます。
- 1853 黒船入港 黒船入港
- 1854 年 神奈川条約 アメリカとの間で神奈川条約が締結され、日本港が開港されました。 リ>
- 1858 年 日米修好通商条約 米国における領事管轄権を認め、日本において関税自主権を持たない条約を締結 ...
- 1867 年 第 15 代将軍、大政奉還慶喜と政権が朝廷に返還される。
明治時代
1868 ~ 1912 年- 1868 年 - 明治維新運動から天皇親政体制に至る明治維新による一連の改革。
- 1874 年の自由民権運動 板垣退助らの自由民権運動
- 1889 年 明治憲法 伊藤博文らによって大日本帝国憲法が公布されました。 リ>
- 1894 年日清戦争 日本と清朝の間の戦争
- 1902 年日英同盟 日本と英国の間の軍事同盟
- 1904 年日露戦争 大日本帝国 とロシア帝国の間の戦争
大正時代
1912 ~ 1926- 1914 年から 1918 年 第一次世界大戦 第一次世界大戦は連合国と第二次世界大戦中枢国との間の戦いであり、このとき日本は連合国側で勝利しました。
- 1918 年の米騒動は地方のデモから始まり、徐々に全国的に拡大しました。
- 1925 年治安維持法 皇室と私有財産制度を否定する運動を弾圧するために制定された法律
昭和時代
1926 ~ 1989 年- 1929 年の大恐慌 米国で始まった大恐慌
- 1931 年の満州事変 日本の関東軍が南満州鉄道を爆破
- 1937 年日中戦争 日本は中華民国と戦う
- 1939 第二次世界大戦 ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まる
- 1941 年 太平洋戦争勃発 日本が米国の真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まります。
- 1945 年末、日本はポツダム宣言を受諾し、戦争を終わらせた
- 1945 年の戦後復興期 GHQ (連合国軍最高司令官総司令部) 占領。最高司令官:マッカーサーによる戦後改革:財閥解体、土地改革
- 1946 年 日本国憲法 日本国憲法が公布されました。来年施行
- 1950 年 朝鮮戦争 朝鮮戦争による戦争ブーム
- 1951 年平和条約 サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約締結
- 1955 年 1955 年体制 自民党結党
- 1956 年の国連加盟日ソ共同宣言
- 1972 年の領土返還 沖縄返還
- 1973 年 石油危機 高度経済成長の終焉
平成
1989-2019- 1993 年不況、バブル経済崩壊
ベタな流れですが、これが現在に繋がる日本の歴史です。
まとめると、平安時代や江戸時代は引っ込み思案な傾向があり、飛鳥、奈良、明治時代は積極的に外交を行った。
外交中と外交外では文化が全く違います。外交が活発になると、文化面でも外国の影響がかなり強く反映されます。一方で、平安や江戸など外国との交流が少なかった時代に独自の文化が発展したのも特徴です。
他国との交流が良かっただけでなく、海外から新たな病気が流行し、時の政府はダメージを受けました。病状や衛生状態、栄養状態なども関係するので一概には言えませんが、平安京に移住した理由の一つに「疫病」があったと聞きます。
もちろん文化にせよ疫病にせよ理由は一つではないが、当時の政権の外交政策が文化に影響を与えた。ただ覚えるよりも連想して覚えやすいので頭の片隅に入れておきましょう。