濃姫(のうひめ)は、戦国大名・織田信長の正室として知られ、数多くの時代劇、小説、舞台に登場する人気の人物です。しかし史実として残されているのは「織田信長に嫁いだ」という事実のみで、生没年すら不明の謎めいた女性です。
2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では、当初濃姫役を務めていた沢尻エリカさんの逮捕を受け、川口春奈さんが代役を務めることでも大きな話題となりました。『麒麟がくる』の主人公は明智光秀ですから、当然ながら信長の正室である濃姫とも深い関わりがあります。
そこで本記事では、『麒麟がくる』に関わりの深い人物に焦点を当てて紹介していきます。第一弾として、まずは濃姫について取り上げます。なお、織田信長と明智光秀についてはすでに別記事で紹介していますので、そちらもぜひご参照ください。
濃姫の生涯
濃姫は、美濃国の戦国大名・斎藤道三と、その正室・小見の方との間に生まれた娘です。小見の方は明智氏の出身とされ、諸説あるものの、濃姫と明智光秀は従兄妹にあたると言われています。
ただし、濃姫に関する史料はほとんど残っていないため、以下の年表には推測を含む部分が多い点にご留意ください。
- 1535年頃:濃姫が誕生
- 1541年:斎藤道三が美濃の主となる
- 1546年:土岐頼純に嫁ぐ
- 1547年:土岐頼純の死により道三のもとへ戻る
- 1549年:織田信長に嫁ぐ
- 以後:消息不明
いつのことかは定かではありませんが、父・斎藤道三の肖像画を斎藤家の菩提寺に寄進したという記録を最後に、濃姫は歴史の表舞台から姿を消したと考えられています。
濃姫の本当の名前は「帰蝶」?
「濃姫」という呼び名は、江戸時代に出版された『絵本太閤記』や『武将感状記』などで用いられたもので、「濃州(美濃国)の貴い女性」を意味する通称にすぎず、本当の名前ではありません。
本来の名については、いくつかの資料に「帰蝶(きちょう)」または「胡蝶(こちょう)」と記されています。「蝶」の字が名に使われていることから、とても美しい女性だったのではないかと想像されますね。
信長への再婚説
織田信長の正室として有名な濃姫ですが、その前に美濃の土岐頼純に11歳で嫁いだとされています。しかし1年足らずで頼純が亡くなり、斎藤家へ戻りました。ただし、この最初の結婚に関する明確な史料はなく、確定した話ではありません。
そして15歳になったとき、父・斎藤道三は、かつて縁組を見送っていた織田信秀の嫡男・信長に、濃姫を嫁がせることを申し出ます。
このとき道三は「信長が噂どおりのうつけ者ならば刺し殺せ」と短刀を渡したと言われています。ところが濃姫は「今度は私が父上を刺す番になるかもしれませんね」と切り返した――これが有名な「短刀の逸話」です。主君を裏切って美濃を奪った道三の行く末を見透かしたような機転は、彼女の聡明さを物語っています。
濃姫は道三が送り込んだ間者(スパイ)?
信長に嫁いでまもない頃、濃姫が夜中に寝床を抜け出すのを見た信長は不審に思い、理由を問いただしました。すると濃姫は「謀反を企てる斎藤家の重臣からの連絡を待っている」と答えたといいます。
娘である濃姫から家臣の謀反の情報を得た道三は、その重臣を誅殺しました。
しかし、これは実は信長の仕掛けた罠だったというのです。濃姫を通じて偽りの謀反情報を道三に流し、斎藤家の重臣を粛清させて家中を弱体化させようとした策略でした。あまりの狡猾さに、信長と濃姫の夫婦関係を思わず恐れてしまうような逸話ですね。
濃姫のその後の考察
前述のとおり、濃姫は斎藤道三の肖像画を斎藤家の菩提寺に寄進した記録を最後に歴史の表舞台から消えてしまいましたが、その後の消息についてはいくつかの考察が残されています。
本能寺で信長と共に?
本能寺の変の際、濃姫は信長と共に本能寺におり、明智軍と戦ったという説があります。
家臣が持ち帰った髪を、岐阜市不動町にある濃姫の髪塚に埋葬したという記録が残っていることから、濃姫は本能寺で信長と運命を共にしたのではないかと考えられているのです。
また、従兄妹である明智光秀に味方して信長を裏切ったのではないかと語る人もいます。
安土殿として天寿を全う?
1587年、織田信雄の「織田信雄分限帳」に「安土殿」という記載があり、これは濃姫を指すのではないかと言われています。領地と密接な関係のある形で名前が挙げられていることから、信長の妻として正室格の扱いを受けていたと推測されるのです。
もし「安土殿=濃姫」であれば、1587年の時点で濃姫は存命していたことになります。
早い離婚・死亡説
一方で、信長が美濃を平定し斎藤氏が滅亡すれば政略結婚の意味がなくなるため、離婚した、あるいは早くに亡くなったという説もあります。濃姫との間に子どもが生まれていないことも、この説の根拠とされます。
しかし、美濃衆を家臣として迎え入れるためにも織田家は濃姫との縁戚関係を必要としていたはずで、この説は可能性が低いと考えられています。
また、斎藤龍興の時代には、義龍の娘(濃姫の姪)が側室になりたいと申し出たという史料が残っています。このことから、この時点で濃姫はすでにこの世になかったと考えられているのです。
まとめ
以上のように、濃姫は謎の多い人物ですが、織田信長に嫁いだこと、斎藤家の菩提寺に道三の肖像画を寄進したことは間違いないようです。
どの史料にも悪いことが書かれておらず、後世には美しく非常に聡明な人物として描かれていることから、織田信長にとって良き妻であったことに違いはないでしょう。