インドとパキスタンの間の国境線が、どのようにして画定されたのかご存じでしょうか。この記事では、1947年のインド・パキスタン分離独立の際に国境線を引いた人物について、選択式クイズ形式でわかりやすく解説します。
インドとパキスタンの国境を画定したのは誰?
次の4人のうち、インドとパキスタンの国境線を画定した人物は誰でしょう。
- ルイス・マウントバッテン卿
- サー・シリル・ラドクリフ
- サー・スタッフォード・クリップス
- ローレンス
正解:サー・シリル・ラドクリフ(Sir Cyril Radcliffe)
正解はイギリスの弁護士であるサー・シリル・ラドクリフです。彼が引いた国境線は一般に「ラドクリフ線(Radcliffe Line)」と呼ばれています。
ラドクリフ線とは何か?
ラドクリフ線とは、1947年にイギリス領インド帝国がインドとパキスタンの2つの国家として分離独立する際に、両国の境界線として画定された国境線の名称です。
当時、イギリス最後のインド総督であったマウントバッテン卿は、分離独立に先立って国境画定の任務をシリル・ラドクリフに委ねました。ラドクリフはインドに渡った経験すらほとんどない法律家でしたが、わずか数週間という短期間で、宗教人口分布などのデータをもとに約8,000kmに及ぶ国境線を引くという困難な作業を遂行しました。
ラドクリフ線がもたらした影響
ラドクリフ線の画定は、多くの課題も生み出しました。特に以下の点が挙げられます。
- 大規模な人口移動: 国境線の公表後、数百万人規模の人々が宗教に基づいて移住し、多大な混乱が発生しました。
- カシミール問題: カシミール地方の帰属が確定しないままとなり、その後の印パ対立の火種となりました。
- 飛び地や未画定区間: ベンガル地方などでは複雑な飛び地問題が残されました。
他の選択肢が不正解である理由
- ルイス・マウントバッテン卿: イギリス最後のインド総督として分離独立の全体的なプロセスを主導しましたが、国境線そのものを引いたのはラドクリフです。
- サー・スタッフォード・クリップス: 1942年にインドの自治を議論する「クリップス使節団」を率いた政治家ですが、国境画定には関与していません。
- ローレンス: イギリス領インド時代の総督などを務めた人物であり、1947年の国境画定とは関係ありません。
まとめ
インドとパキスタンの国境線は、1947年にイギリスの弁護士サー・シリル・ラドクリフによって画定され、「ラドクリフ線」と呼ばれています。この一問は、南アジア近代史や世界史の試験でも頻出の重要事項です。ラドクリフ線の歴史的背景まで理解しておくと、より深い知識として身につくでしょう。