モンゴル帝国による最初の大規模な対外侵攻は、1211年に始まった中国北部の金王朝(金朝)への遠征です。
金王朝侵攻の背景
チンギス・ハン(成吉思汗)は1206年にモンゴル帝国を建国すると、南方の金王朝を最大の標的として定めました。当時の金は華北を支配する強国でしたが、モンゴルにとっては長年の宿敵であり、また豊かな農業地帯と資源を求めるうえでも重要な攻略対象でした。
1211年の侵攻と野狐嶺の戦い
1211年、モンゴル軍は万里の長城沿いから華北へと侵攻を開始しました。特に有名なのが野狐嶺の戦いで、モンゴル軍は数において優勢だった金の大軍を機動力と戦術で打ち破り、決定的な勝利を収めました。
この勝利により、モンゴルは華北の広範な地域へ勢力を拡大し、以後も繰り返し遠征を行って金の領土を蚕食していきました。
その後の展開
金王朝との戦争は数十年に及びました。チンギス・ハンの死後も征服戦争は続けられ、最終的に1234年、モンゴルと南宋の連合軍によって金は滅亡しました。
金への侵攻は、モンゴル帝国がユーラシア大陸規模の征服へと歩み出した最初の大きな一歩となった出来事といえます。