アジアの歴史

アルーシャ宣言とは?その背景とタンザニアに与えた影響を徹底解説

アルーシャ宣言(Arusha Declaration)は、1967年2月5日、タンザニアの与党だったタンガニーカ・アフリカ民族同盟(TANU)によって、アルーシャ市で発表された政策声明です。この宣言は、社会主義と自力更生(自立)の原則と目標を掲げ、その後のタンザニアの発展の道筋を示すものとなりました。

アルーシャ宣言の背景(原因)

1. ウジャマー思想

タンザニア初代大統領ジュリウス・ニエレレは、アフリカ社会主義の強い信奉者でした。彼は資本主義もソ連型社会主義もタンザニアの実情には合わないと考え、独自のアフリカ型社会主義である「ウジャマー(Ujamaa)」を採用すべきだと主張しました。ウジャマーはスワヒリ語で「家族性」「共同体」を意味し、伝統的なアフリカ社会の相互扶助の精神を基盤とした思想です。

2. 経済的従属からの脱却

タンザニアは他の多くのアフリカ諸国と同様、外国勢力への経済的依存という深刻な課題を抱えていました。アルーシャ宣言は、自力更生を推進し、国内産業の育成を促すことで、こうした依存関係を減らすことを目指しました。

3. 貧困と格差の是正

植民地支配からの独立を果たした後も、貧困と不平等はタンザニアにとって大きな課題として残っていました。宣言は、土地やその他の資源の再分配、国民の生活向上のための社会プログラムの実施を通じて、これらの問題に対処しようとしたのです。

アルーシャ宣言がもたらした影響

1. 経済構造の大きな変革

宣言を受けて、タンザニア経済には構造的な変化が起こりました。政府は主要な産業、銀行、その他の重要な経済部門を国有化し、民間企業は小規模な事業に限定され、大規模な企業は国家の管理下に置かれました。

2. 集村化(ウジャマー村建設)

宣言ではまた、「集村化(villagization)」と呼ばれるプログラムが導入されました。これは農村人口を共同体的な村へ移住させる政策で、基礎的なサービスへのアクセス改善、協同組合による生産の促進、都市と農村の格差縮小を目指すものでした。

3. 西側諸国とのイデオロギー対立

アルーシャ宣言は、タンザニアと西側の同盟国との間にイデオロギーの溝を作りました。西側諸国は、この政策は非効率で経済成長を妨げると批判し、その結果、タンザニアは外国からの援助や投資の減少に直面することになりました。

4. 功罪混在する経済パフォーマンス

宣言の経済面での成果は一長一短でした。当初は格差の縮小である程度の成功を収めたものの、国営部門では非効率や生産性の低下も招きました。1970年代後半から1980年代初頭にかけて、高インフレや停滞する経済成長といった問題が顕在化していきました。

5. 国際的な政治的影響力

アルーシャ宣言は、その原則や政策の一部を採用した他のアフリカ諸国や解放運動にも影響を与え、世界中の社会主義運動や反植民地主義運動とも共鳴しました。

まとめ

アルーシャ宣言は、タンザニアにおいて自立的で社会主義的な開発モデルを確立しようとした大胆な試みでした。当初は一定の成功を収めたものの、多くの課題にも直面し、その影響は最終的に功罪混在するものとなりました。それでもなお、この宣言はタンザニアの歴史における重要な転換点であり、アフリカの開発戦略をめぐる議論の中で今も語り継がれる一章なのです。