アジアの歴史

なぜハラッパ人は中国ではなくシュメールと交易したのか?その理由を解説

実は、ハラッパ(インダス文明)の人々が中国と交易しなかったという証拠はありません。むしろ、両者の間に交易が存在したことを示す考古学的な発見が複数あります。

ハラッパと中国の交易を示す証拠

例えば、ハラッパの遺跡からは中国産の絹が出土しており、逆に中国側からはハラッパ製のビーズが発見されています。これらの遺物は、インダス文明と中国の間に何らかの形で交流があったことを示唆しています。

それでもシュメールとの交易が中心だった理由

地理的な距離の差

ハラッパ文明は南アジアのインダス川流域に位置していましたが、中国は東アジアにあります。紀元前2600年頃から前1900年頃に繁栄したこの時代、陸路で中国まで到達するにはヒマラヤ山脈や広大な地域を越える必要があり、極めて困難でした。

一方、メソポタミアのシュメールへは、アラビア海からペルシャ湾を経由する海路でアクセスできました。途中の中継地として知られるバーレーン島(古代のディルムン)などを拠点に、海上交易網が発達していたのです。

文化的な共通点

さらに、ハラッパ人とシュメール人の間には多くの文化的類似点がありました。シュメールの粘土板文書には、「メルッハ」と呼ばれる土地(インダス地方と考えられています)から船団が訪れたことが記録されています。印章の使用、計画的な都市建設、高度な工芸技術など、両文明に共通する要素は交易を円滑にする基盤となりました。

まとめ

ハラッパ人が中国と交易しなかったわけではなく、実際に限定的ながら交流の痕跡が残っています。しかし、地理的な近さ、安全な海路の存在、そして文化的な親和性といった条件が揃っていたシュメールとの交易が、はるかに活発に行われていたのは自然なことだったと言えるでしょう。