ベトナム戦争において、アメリカ海兵隊は最も過酷な戦場を担った部隊の一つでした。南ベトナム北部のクアンチ省や古都フエ周辺といった激戦地の最前線に配備され、1万4000人を超える隊員が命を落としています。ここでは、数多くの犠牲者の中から、特に知られる指揮官や名誉勲章を受章した戦死者を紹介します。
ブルーノ・ホッホムス少将(Bruno A. Hochmuth)
ベトナム戦争で戦死した最高位の海兵隊将校が、第3海兵師団長を務めていたブルーノ・ホッホムス少将です。1967年11月14日、視察のため搭乗していたヘリコプターがフエ近郊で墜落し、同乗していた将兵とともに亡くなりました。現地部隊の指揮官として信頼が厚く、その死は海兵隊全体に大きな衝撃を与えました。
フランク・リーズナー中尉(Frank S. Reasoner)
1965年7月12日、ダナン南方での偵察任務中に待ち伏せ攻撃を受けたリーズナー中尉は、自らも重傷を負いながら負傷兵の救護と部隊の防衛を指揮し続け、戦死しました。彼はベトナム戦争で海兵隊員として最初に名誉勲章を授与された人物であり、その名はミサイルフリゲート艦USSリーズナーに冠されています。
アルフレド・ゴンザレス軍曹(Alfredo C. Gonzalez)
1968年2月のテト攻勢におけるフエ市街戦で、ゴンザレス軍曹は激しい砲火のもと、孤立した負傷仲間の救出に向かい、壮烈な戦死を遂げました。名誉勲章が死後追贈され、故郷テキサス州エディンバーグでは学校や通りの名にその名が残されています。
スティーブン・プレス大尉(Steven W. Pless)
救難ヘリのパイロットとして活躍したプレス大尉は、激しい対空砲火の中で幾度も負傷兵の救出に成功し、ベトナムで最も多忙な救難パイロットと呼ばれました。1969年8月7日、戦闘飛行中に戦死し、名誉勲章が死後授与されています。
トーマス・ヌーナン一等兵(Thomas G. Noonan Jr.)
1969年2月5日、クアンナム省での夜間哨戒中に部隊が待ち伏せを受けると、ヌーナン一等兵は負傷した仲間を次々と安全な場所へ運び、最後は行方不明となった隊員を捜索中に戦死しました。その献身的な勇気に対し、名誉勲章が追贈されています。
まとめ
ワシントンD.C.のベトナム戦争戦没者慰霊碑には、5万8000人を超える戦没者の名前が刻まれ、そのうち1万4000人以上が海兵隊員です。ここで紹介したのはごく一部ですが、彼らの犠牲と勇気の物語は、今日も多くの人々に受け継がれています。