19世紀末、白人にとっての「アメリカンフロンティア」は消滅した。それでも拡張の思想は止むことなく、アメリカはさらなる領土を求めて海外へと進出していく。ウィリアム・マッキンリーは、そうしたアメリカ帝国主義を象徴する大統領である。
南北戦争最後の大統領
ウィリアム・マッキンリーは1843年、オハイオ州に生まれた。南北戦争以降続く「オハイオ出身の大統領」の一人と言える存在だ。
実際、南北戦争後にはラザフォード・B・ヘイズ、ジェームズ・ガーフィールド、ベンジャミン・ハリソンと、オハイオ州出身の大統領が相次いで誕生している。これは南北戦争以前にバージニア州出身者が多かったことと好対照であり、アメリカ政治の重心が南部から北部へと移ったことを示している。
当時の共和党は富裕層や産業資本家の支持を受け、外国製品の販売力を削ぐための高関税政策を推進しており、アメリカ経済は大きく成長していた。マッキンリーもその路線を強く受け継ぐ政治家だった。
マッキンリーの祖先は18世紀前半にアメリカへ移住したスコットランド系移民で、彼自身は9人兄弟の7番目の子として生まれた。1860年にアレゲニー大学に進学するが、南北戦争の勃発により学位を得ることはできなかった。
マッキンリーは兵士として南北戦争に従軍し、上官の一人が後に大統領となるラザフォード・B・ヘイズであった。ヘイズはマッキンリーの才能を高く評価し、彼は最終的に少佐まで昇進している。
戦後は法律を学び、1867年から弁護士として活動を始めた。1869年から1871年まではオハイオ州の検事を務め、その後再び弁護士業に戻るが、やがて政界へ転身。連邦下院議員を経て、オハイオ州知事に就任する。
第25代大統領として

大統領に就任したマッキンリーは、共和党の伝統に沿って極端な保護貿易政策に乗り出した。平均税率約57%という高関税を課すディングレー関税法を成立させると、国内外の批判をよそにアメリカ帝国主義政策を推し進めていく。
これはアメリカの拡張主義思想「マニフェスト・デスティニー(明白な天命)」の拡大解釈とも言えるものであった。
この時期、アルフレッド・セイヤー・マハンの著書『海上権力史論』が大きな影響力を持っていた。「海を制する者は世界を制す」という考え方が強まり、海外進出の気運を一層高めていたのである。
そんな中、カリブ海のキューバがスペインからの独立を求めて蜂起し、マッキンリーはこれを支持した。1898年、キューバ沖に停泊していたアメリカ軍艦メイン号が爆発・沈没すると、マッキンリーはスペインに宣戦布告し、米西戦争が勃発する。
かつて七つの海を支配したスペインは、もはやアメリカの敵ではなかった。「アメリカ大陸を発見した国」が、「発見された側の国」に完敗したのである。
メイン号事件の真相は今なお明らかになっていない。しかし、ルシタニア号事件、真珠湾攻撃、トンキン湾事件など、アメリカが重大な事件をきっかけに参戦してきた歴史は、歴史学において繰り返し議論されてきたテーマでもある。
ちなみに、レントゲン博士が発見したX線は、この米西戦争における負傷者の治療に大いに役立ったとされている。
こうしてアメリカは、ヨーロッパ列強に匹敵する大国へと成長を遂げた。
同年にはハワイが併合され、パリで結ばれた講和条約によってアメリカはフィリピン、グアム、プエルトリコを獲得。キューバにも強い影響力を及ぼし、その過程で確保された権益の一つが、現在も存続するグァンタナモ米軍基地である。
しかし、フィリピンの指導者エミリオ・アギナルドは、スペイン支配からの解放を機に独立を宣言した。マッキンリーはこれを認めず、アメリカはフィリピンとの間で米比戦争を開始することになる。
結果は言うまでもなくアメリカの圧勝となり、アメリカはこの勢いを背景に中国への進出を目指すようになる。
ただし中国は、日清戦争や義和団の乱を経て、列強による分割の時代に突入しており、アメリカの動きは完全に出遅れていた。そこでマッキンリー政権のジョン・ヘイ国務長官は、清国の領土保全と中国における自由貿易・機会均等を主張する「門戸開放宣言」を発表。これにより日本やロシアとの対立を深めていくこととなる。
ウィリアム・マッキンリーの最期

再選を果たし二期目に入ったマッキンリーだったが、任期を全うすることはできなかった。
1901年、彼は暗殺される。享年58歳。犯人はレオン・チョルゴシュという無政府主義者(アナーキスト)だった。
マッキンリーの人物像と評価
弁護士時代、マッキンリーは実業家マーク・ハナが経営する鉱山のストライキ事件を担当したことがある。共和党議員らしからぬことに彼は労働者側の弁護を引き受け、後に弁護報酬を支払おうとしたハナに対しては「受け取れない」と突っぱねたという。
対外的には強硬でありながら、自国民には温厚だった――そんなマッキンリーらしい逸話である。
暗殺後、副大統領のセオドア・ルーズベルトが大統領に就任する。考えてみれば、この時にセオドア・ルーズベルトが大統領になっていなければ、その一族・姻戚にあたるフランクリン・ルーズベルトが大統領になることもなかったかもしれない。歴史とは偶然の産物なのである。
日本で言えば「もはや戦後ではない」という言葉があるが、マッキンリーの時代、アメリカはようやく南北戦争後の再編期を脱し、帝国主義という新時代へと足を踏み入れた。
その結果、世界はイギリス、フランス、ドイツ、日本、ロシア、アメリカが覇を競う時代へと移行し、やがて各国が衝突する世界大戦へと進んでいく。
その意味で、マッキンリーは歴史の転換点に立った大統領だと言えるだろう。