北米の歴史

植民地時代のデラウェア州の教育事情とは?〜初期学校から啓蒙思想の影響まで〜

植民地時代のデラウェア州の教育事情とは?

植民地時代のデラウェア州における教育制度は、大きく分権化されており、各地域やコミュニティの立地条件や資源の状況によって大きく異なっていました。ここでは、当時の教育の主な特徴をわかりやすく解説します。

1. 宗教団体による初期の学校

最も古い学校は、クエーカー派(友会)や英国国教会などの宗教団体が、信者の子弟の教育のために設立したものでした。これらの学校では、読み・書きといった基礎的な学習に加え、宗教教育が中心に行われていました。

デラウェアで最初に記録されている学校は、1682年に設立されたニューキャッスルのフレンズ・スクールです。同校は友会(クエーカー派)によって運営され、農業、大工仕事、航海術などを含む実践的な教育を重視していた点が特徴でした。

2. 巡回教師の活躍

恒久的な学校が存在しなかった農村部では、巡回教師が重要な役割を果たしていました。彼らはコミュニティからコミュニティへと移動しながら、短期間の指導を行っていたのです。

巡回教師は通常、数週間から数ヶ月間その土地にとどまり、読み・書き・算数といった基礎科目を教えていました。

3. 文法学校の設立

植民地が繁栄するにつれ、「グラマースクール」と呼ばれるより高度な学校が設立されるようになりました。これらの学校では、ラテン語、ギリシャ語、文学、数学、哲学などを中心とした古典教育が提供されていました。

デラウェアで最も著名なグラマースクールは、1765年に創立されたニューアーク・アカデミー・アンド・カレッジです。この学校は、現在のデラウェア大学の前身にあたります。

4. 就学機会の限界

植民地時代のデラウェアでは義務教育制度が存在せず、学校に通えるのは主に富裕層の子供たちに限られていました。

多くの家庭では職業訓練として徒弟制度に頼っており、貧しい家庭の子供たちは正式な学校教育を受ける機会がほとんどありませんでした。

5. 教育の多様性

特に宗教面において、教育には一定の多様性が見られました。例えば、植民地北部に居住する一部のメノナイト系共同体では、親による直接指導のもとでの家庭教育が好まれていたのです。

6. 女性と教育

女性の教育は大きく制限されており、正式な学校教育の機会は主に男子に与えられていました。ただし、一部の少女たちは家庭内や女性家庭教師から、基本的な読み書きや宗教教育を受けていました。

7. 啓蒙思想の影響

植民地時代の後期になると、啓蒙思想の広まりと文化交流の活発化が、デラウェアの教育に大きな影響を与えました。その結果、科学や実用的な知識が重視されるようになり、教育の機会も次第に拡大していきました。

まとめ

植民地時代のデラウェア州の教育は、アクセスの面で大きな制約がありましたが、宗教団体や地域社会の努力によって基礎が築かれ、その後のより包括的な教育制度の発展へとつながっていきました。