北米の歴史

ニューアムステルダムはアメリカ植民地で最も民族的多様性に富んだ場所だったのか?

現在のニューヨークは、オランダ支配下の時代には「ニューアムステルダム」と呼ばれていました。ハドソン川河口に位置するこの交易拠点は、ヨーロッパ各地やアフリカからやって来た人々が行き交う国際色豊かな町として知られています。しかし、歴史的に見ると、ニューアムステルダムは北米植民地の中で最も民族的に多様な場所だったわけではありません。その称号を手にしていたとされるのは、むしろペンシルベニア植民地です。

ニューアムステルダムの驚くべき多様性

17世紀半ばのニューアムステルダムには、オランダ人をはじめ、ドイツ人、フランス人、スカンジナビア人、ユダヤ教徒、そして自由黒人や奴隷とされたアフリカ系の人々までが暮らしていました。当時の記録によれば、町では十数もの言語が話されていたとも伝えられており、小さな入植地としては確かに際立った多様性を誇っていました。

これは、オランダ西インド会社が貿易を最優先とし、宗教や出身地への寛容な姿勢を保っていたことが一因です。港町としての利便性もあり、さまざまな背景を持つ商人や職人が自然と集まる場所となりました。

それでも「最も多様」ではなかった理由

とはいえ、ニューアムステルダムの人口規模自体が限られており、住民の多くはオランダ系とその関連コミュニティに集中していました。1664年にイギリスに占領され「ニューヨーク」と改称された後も、人口構成の中心は大きくは変わりませんでした。

最も多様だったのはペンシルベニア植民地

一方、1681年にウィリアム・ペンによって設立されたペンシルベニア植民地は、宗教的寛容を柱とした開放的な政策を掲げました。クエーカー教徒のペンは、あらゆる信仰を受け入れる姿勢を明確にし、ヨーロッパ中から迫害を逃れた人々を引き寄せました。

その結果、イングランド人のクエーカー教徒をはじめ、ドイツ系移民(いわゆる「ペンシルベニア・ダッチ」)、スコットランド系アイルランド人、ウェールズ人、スウェーデン人などが大挙して移住しました。18世紀に入る頃には、ペンシルベニアは「貧しい者にとって最良の国」と呼ばれるほど機会に恵まれた土地となり、言語・宗教・民族の面で北米随一の多様性を示すようになったのです。

まとめ

ニューアムステルダム(後のニューヨーク)は、初期アメリカにおいて顕著な民族的・宗教的多様性を示した町であることは間違いありません。しかし、植民地全体で比較すると、宗教的自由と安価な土地を求める移民を幅広く受け入れたペンシルベニアこそが、最も民族的に多様な植民地だったと評価されています。両者の違いは、単なる地理的な偶然ではなく、それぞれの統治理念と移民政策の違いが生んだ結果だと言えるでしょう。