ハットフィールド家とマッコイ家の抗争とは
ハットフィールド家(Hatfields)とマッコイ家(McCoys)は、アメリカ合衆国アパラチア地方、主にウェストバージニア州とケンタッキー州の国境地域で、長きにわたる抗争(フェード)を繰り広げた二つの名家として知られています。この因縁の対立は19世紀後半に端を発し、数十年もの間、両家を血で血を洗う争いへと突き落としました。
抗争の起源
抗争の発端は、両家の間で起きた土地や所有物をめぐる争いにあるとされています。1878年、ハットフィールド家の敷地内で殺された一頭の豚をめぐって、マッコイ家との間で深刻な対立が発生。口論はやがて法廷での争いへと発展し、さらに流血の事態へとエスカレートしました。この一件をきっかけに、両家の間には取り返しのつかない亀裂が走り、報復攻撃の連鎖が始まったのです。
激化する抗争
その後数十年にわたり、抗争はますます過激さを増していきました。両家は互いに襲撃や待ち伏せなど、あらゆる暴力行為に手を染めるようになります。抗争があまりにも凄惨を極めたため、ついには連邦政府の注意をも引くことになりました。1880年代には、チェスター・A・アーサー大統領のもと、暴力を鎮圧するためにアメリカ合衆国保安官(USマーシャル)の一隊がこの地域に派遣され、治安回復が図られました。
抗争の終結
こうした悲劇的な対立にようやく終止符が打たれたのは、1891年のことでした。ケンタッキー州とウェストバージニア州の両州知事が共同声明を発表し、停戦を呼びかけたのです。この呼びかけが実を結び、ハットフィールド家とマッコイ家はついに戦いを終えることで合意しました。半世紀以上にわたって続いたこの抗争では、数十人もの命が失われたといわれています。
抗争が残した遺産
ハットフィールド家とマッコイ家の抗争は、アメリカ史上最も有名な因縁の対決として今も語り継がれています。これまでに数多くの書籍や映画、テレビドラマの題材となっており、「ハットフィールド対マッコイ」という言葉は、南北戦争における北軍と南軍の対立のように、あらゆる対立構図を表す比喩表現としても広く使われています。
現代の両家
今日、ハットフィールド家とマッコイ家はかつての確執をほぼ乗り越えています。両家の間には結婚による結びつきも生まれ、現在では抗争と呼べるような対立は存在しません。それでも、この抗争はアパラチア地方に深い足跡を残しています。両家は今なお同地域で最も力強く影響力のある一族として記憶されており、その因縁の物語は地域の民間伝承として受け継がれているのです。