北米の歴史

独立宣言の原案はそのまま受け入れられたのか?──修正と推敲を経て生まれた歴史文書

結論:いいえ、そのまま受け入れられたわけではありません

独立宣言の原案は、修正なしにそのまま採択されたわけではありません。トーマス・ジェファーソンが起草した草稿は、起草委員会(いわゆる「五人委員会」)のメンバーであるジョン・アダムズ、ベンジャミン・フランクリン、ロジャー・シャーマン、ロバート・R・リビングストンらによって何度も推敲され、さらに大陸会議全体による審議でも数多くの修正が加えられました。

五人委員会による推敲

ジェファーソンの草稿に対しては、委員会のメンバーから具体的な修正提案が出され、表現の調整や文言の変更が繰り返し行われました。中でもアダムズとフランクリンが積極的に意見を述べたとされており、「これらの真理は自明のものである」という有名な一節の表現にも、こうした推敲の過程が反映されていると言われています。

大陸会議による修正と削除

1776年6月末から7月初めにかけて、フィラデルフィアで開かれた大陸会議は原案の全文を精査し、不要と判断された箇所を削除したり、言い回しを改めたりしました。特に、奴隷貿易を非難する条項は、サウスカロライナやジョージアなどの強い反対を受けて削除されることになりました。

1776年7月4日、最終版が正式採択

こうした一連の編集作業を経て完成した最終版は、1776年7月4日に大陸会議で正式に採択されました。原案からは全体のおよそ5分の1に相当する部分が削除・修正されたとされ、採択された文章はジェファーソンが最初に書いた草稿とはかなり異なるものになっていました。

修正を重ねたことの意味

このように、独立宣言は一人の起草者による一気呵成の作品ではなく、複数の指導者たちの知恵と妥協の積み重ねによって仕上げられた文書です。厳しい検討と修正を重ねたからこそ、13植民地の代表者たちの合意を得られる内容となり、歴史に残る宣言としての説得力と普遍性を持つに至ったのだと言えるでしょう。