1600年代から1700年代にかけて、北アメリカの支配をめぐって戦ったヨーロッパの2か国は、フランスとイギリス(イングランド)です。両国は1世紀以上にわたり植民地や交易の利権を巡って対立し、最終的には18世紀半ばの大戦争で決着をつけました。
両国の北アメリカ進出
フランスの植民地「ヌーベルフランス」
フランスは17世紀初頭に北アメリカへ本格的に進出し、セントローレンス川流域を中心に「ヌーベルフランス(新フランス)」と呼ばれる広大な植民地を築きました。1608年にサミュエル・ド・シャンプランが建設したケベックを拠点に、毛皮交易を主な収益源として、五大湖地方からミシシッピ川流域まで勢力を広げていきます。
イギリスの大西洋岸13植民地
一方のイギリスは、1607年のジェームズタウン建設を皮切りに、大西洋沿岸へ次々と植民地を設立しました。農業と貿易を基盤としたこれらの植民地は人口増加が著しく、やがて「13植民地」として北アメリカ東海岸一帯を占めるようになりました。
衝突の背景と繰り返された戦争
両国は毛皮交易の利権や領土の境界線をめぐって対立を深め、ヨーロッパで戦争が起きるたびに、その余波が北アメリカにも及びました。17世紀末から18世紀前半にかけて、主に以下の戦争が断続的に続きました。
- ウィリアム王戦争(1689〜1697年)
- アン女王戦争(1702〜1713年)
- ジョージ王戦争(1744〜1748年)
これらの戦争では決定的な勝敗がつかず、両国の勢力圏は並存したまま緊張状態が続きました。
決着戦となったフレンチ・インディアン戦争
1754年から1763年にかけて戦われたフレンチ・インディアン戦争(ヨーロッパ史では七年戦争の一部)が、両国の覇権争いの最終決戦となりました。イギリス軍と各植民地の民兵、さらに同盟を結んだ先住民族がフランス側を圧倒し、1759年のケベックの戦いなどで決定的な優位を確立します。
パリ条約(1763年)とその結果
1763年に締結されたパリ条約により、フランスはカナダ東部およびミシシッピ川以東の領土をほぼすべてイギリスへ割譲しました。これにより北アメリカ東部の覇権はイギリスの手に確定します。しかし、戦費負担のためイギリスが13植民地に重い税を課したことが反発を招き、この結果は後のアメリカ独立戦争の遠因の一つともなりました。