アメリカ南北戦争(1861年〜1865年)が始まった当初、北軍(連邦軍)が西部戦線において最初に掲げた戦略目標は、ミシシッピ川の支配権を確保することでした。
なぜミシシッピ川だったのか?
ミシシッピ川は北米大陸を南北に縦断する最大の水路であり、当時の物流における最重要の交通路でした。穀物や家畜、武器弾薬などの物資輸送の生命線であり、南軍(アメリカ連合国)にとっても、テキサス州やアーカンソー州といった西部の諸州と東部戦線を結ぶ不可欠な補給路となっていました。
北軍がこの川を完全に掌握できれば、南軍領を東西に分断し、西部からの兵員・物資の供給を遮断できると考えられました。これは「アナコンダ作戦」と呼ばれる封鎖戦略の中核をなす構想でもありました。
目標達成までの道のり
この戦略目標に基づき、北軍は以下のような一連の作戦を展開していきました。
- 1862年:ユリシーズ・S・グラント将軍がヘンリー砦とドネルソン砦を攻略し、テネシー州への足掛かりを築く
- 1862年4月:シャイローの戦いで激戦の末、ミシシッピ川流域での主導権を強化する
- 1863年7月:ビックスバーグの包囲戦に勝利し、ミシシッピ川全域の支配をほぼ確立する
ビックスバーグ陥落の意義
1863年7月4日、ビックスバーグが陥落すると、南軍はミシシッピ川を完全に失いました。これにより南部は東西に分断され、「ミシシッピ川は再び自由な水路となった」とリンカーン大統領が評したように、戦争の帰趨を決める大きな転換点となりました。
このように、開戦当初に掲げられた「ミシシッピ川の支配」という戦略目標は、北軍の勝利を導く最も重要な柱の一つとなったのです。