1680年代、イギリス本国と北米植民地との間に緊張と対立を生む出来事が相次ぎました。これらの要因はやがてアメリカ独立革命へとつながっていくことになります。ここでは、当時の紛争の火種となった主な出来事を6つに分けて解説します。
1. 航海法(Navigation Acts)
17世紀半ばに制定された航海法は、植民地での貿易を制限し、イギリス人商人の利益を優先する法律でした。この規制により、植民地の人々は経済的な自由を奪われ、物価も高騰しました。そのため、植民地側から強い不満が噴出することとなりました。
2. ニューイングランド自治領(Dominion of New England)の設立
1684年、イギリス政府はニューイングランド自治領を創設し、複数の植民地を単一の総督のもとに統合しました。この措置は、各植民地が長年守ってきた自治権や自己統治の伝統に対する重大な脅威であると受け止められました。
3. 王室任命の総督と植民地議会の対立
イギリス王室によって任命された総督たちは、植民地住民の利益を代表する議会としばしば衝突しました。総督は議会よりも大きな権限を持ち、立法に対して拒否権を行使できる立場にあったため、両者の摩擦は避けられないものでした。
4. 宗教上の緊張
宗教面での違いも対立の一因となりました。多くの植民地はもともと宗教の自由を求める人々の避難所として建設された経緯があり、イングランド国教会(聖公会)が自らの信仰形式を押し付けようとする動きには強い反発を示していました。
5. ジェームズ2世の統治
ジェームズ2世(在位1685年〜1688年)の時代は、植民地にとって特に厳しい時期でした。カトリック信徒であったジェームズ2世は、プロテスタントが多数を占める植民地で自らの信仰を広めようとしたため、入植者たちに大きな警戒心を抱かせました。さらに統治や課税をめぐって植民地の指導者たちと対立し、抗議活動や反乱が発生する事態にまで発展しました。
6. 名誉革命(Glorious Revolution)
1688年、イングランド議会は名誉革命と呼ばれる政変によってジェームズ2世を打倒しました。北米の植民地の人々は、この事件をイギリス臣民としての自らの権利を主張し、王権の影響力を弱める絶好の機会と捉えました。
まとめ
以上のような要因や出来事が重なり、イギリスとアメリカ植民地の間には不満と対立の意識が次第に高まっていきました。こうした緊張や不満は、より大きな自治権を求める運動へと発展し、最終的にはアメリカ独立戦争という形で結実することになるのです。