北部州は奴隷制を望まなかった
アメリカの歴史において、北部州は奴隷を求めなかったばかりか、奴隷制を必要ともしませんでした。むしろ北部州の多くは奴隷制に強く反対しており、廃止運動(アボリショニズム)において重要な役割を果たしました。
南北で異なる経済構造
奴隷制は主に南部诸州に集中していました。南部では綿花やタバコなどの大規模プランテーション農業が経済の中核を担っており、その生産体制は奴隷労働に大きく依存していました。
一方、北部の経済は工業、商業、金融業が中心であり、大量の農業労働力を必要とするプランテーション経済とは構造が異なっていました。この経済的な違いが、北部における奴隷制への反発を後押しする一因となりました。
北部における奴隷制廃止運動
19世紀に入ると、北部では奴隷制廃止を訴える運動が活発化しました。ウィリアム・ロイド・ガリソンやフレデリック・ダグラスといった廃止論者たちが、新聞や講演活動を通じて奴隷制の非道徳性を訴え、世論を形成していきました。
また、多くの北部州では建国初期の段階から段階的に奴隷制を廃止しており、奴隷制は次第に「南部特有の制度」とみなされるようになっていきました。
まとめ
北部州が奴隷を欲しなかったのは、単なる理想主義だけでなく、経済構造の違いと道徳的・政治的な反対運動が組み合わさった結果です。この南北の対立は最終的に南北戦争へとつながり、1863年の奴隷解放宣言、そして1865年の憲法修正第13条による奴隷制の全面廃止へと至ることになりました。