1876年11月7日に実施されたアメリカ合衆国大統領選挙は、建国以来最も激しい紛争の一つとなった選挙として知られています。民主党候補のサミュエル・J・ティルデンと、共和党候補のラザフォード・B・ヘイズが対決し、結果は大きく揺れ動くことになりました。
一般投票では勝利しながらも、ティルデンは敗北へ
ティルデンは一般投票では僅差ながら勝利を収めました。しかし、当選に必要なのは一般投票ではなく選挙人団の票です。ところが複数の州で選挙人の帰属をめぐって不正や混乱が疑われ、20件以上の選挙人票の有効性が争われる事態に発展しました。これにより、どちらの候補も当選に必要な過半数の選挙人票を確保できない状態が続きました。
選挙管理委員会による裁定
この膠着状態を打開するため、連邦議会は特別な「選挙管理委員会(Electoral Commission)」を設置しました。同委員会は係争中の選挙人票の帰属を審査し、最終的にヘイズに有利な裁定を下しました。その結果、一般投票で勝っていたティルデンではなく、ヘイズが第19代大統領に就任することになったのです。
この決定は民主党側から強い反発を受け、世論の間でも大きな怒りと不信を巻き起こしました。多くの人々が、政治的な取引によって選挙結果が覆されたのではないかと疑ったのです。
「1877年の妥協」とレコンストラクションの終焉
こうした対立を収拾するため、政治的取引とも言われる「1877年の妥協(Compromise of 1877)」が成立しました。この妥協により、南部に駐留していた連邦軍が撤退し、南北戦争後の南部再建政策である「レコンストラクション(復興期)」が事実上終わりを迎えました。
連邦軍の撤退は、南部諸州の自治回復につながる一方で、後にアフリカ系アメリカ人の公民権が長年にわたり制限される一因となったとも指摘されています。
ヘイズ政権の歩み
こうして大統領となったラザフォード・B・ヘイズは、1877年から1881年までの4年間、第19代大統領を務めました。在任中、彼は南北戦争で疲弊した国家の再建に尽力するとともに、腐敗が指摘されていた官僚制度の改革、いわゆる公務員制度改革にも取り組みました。
1876年の大統領選挙は、単なる一人の候補者の勝敗にとどまらず、アメリカの政治体制と南部の未来を左右する転換点となった出来事だったのです。