ゲティスバーグの戦いはどこで始まったのか?
ゲティスバーグの戦いは、1863年7月1日、アメリカ合衆国ペンシルベニア州の小さな町「ゲティスバーグ」とその周辺で始まりました。3日間にわたって繰り広げられたこの戦いは、南北戦争全期間を通じて最大規模かつ最も多くの犠牲者を出した会戦として知られています。
戦いはどのように始まったのか?
開戦のきっかけとなったのは、1863年6月30日の小規模な接触でした。物資(特に靴)の調達を目的としてゲティスバーグへ向かっていた南軍部隊が、町に北軍ジョン・ビュフォード准将率いる騎兵隊がいることを確認したのです。
翌7月1日の朝、南軍A.P.ヒル中将麾下のヘス師団が町の西方から前進を開始し、ビュフォードの騎兵隊と交戦しました。ビュフォード隊は地形を活かした遅延戦術で南軍の進撃を食い止め、ジョン・F・レイノルズ少将率いる北軍第1軍団が到着するまでの時間を稼ぎました。
こうして偶発的に始まった戦闘は、やがてロバート・E・リー将軍率いる南軍北バージニア軍と、ジョージ・G・ミード将軍率いる北軍率いる北軍ポトマック軍という両軍の主力が集結する、歴史的大会戦へと発展していきました。
初日(7月1日)の戦況
初日の戦闘は、町の西側にあるハー・リッジやマクファーソン・リッジ周辺を中心に展開されました。数で勝る南軍の攻勢により、北軍は夕方には町を抜けて南側の高地へ後退しましたが、その結果、セメタリー・ヒルやカルプス・ヒルといった防御に適した高地を確保することに成功します。日没までに町そのものは南軍の手に落ちましたが、北軍は強固な内線陣地を築き上げていました。
2日目(7月2日):最も激烈な戦闘
2日目は、戦全体の中でも最も激しい戦闘が繰り広げられた日でした。リー将軍は北軍陣地の両翼を突く作戦を実行し、南軍ジェームズ・ロングストリート中将の軍団が北軍左翼のデビルズ・デン、ウィートフィールド、ピーチ・オーチャード、さらにリトル・ラウンド・トップへ猛攻を仕掛けました。北東方面ではリチャード・ユーウェル中将の軍団がカルプス・ヒルとイースト・セメタリー・ヒルを攻撃しましたが、北軍は多大な犠牲を払いながらもこれらの攻撃をすべて撃退しました。
3日目(7月3日):ピケット突撃
最終日の朝、南軍はカルプス・ヒルの北軍陣地への攻撃を再開しましたが、突破には至りませんでした。午後には、この戦いで最も有名な場面である「ピケット突撃」が実行されます。約12,500名の南軍歩兵が、セメタリー・リッジ中央の北軍防衛線に対して正面突撃を敢行しましたが、集中砲火を浴びて壊滅的な損害を受け、ついに撃退されたのです。
終結と歴史的意義
7月4日、リー将軍は攻勢の継続を断念し、南軍はバージニア州への撤退を開始しました。この北軍の勝利により、南軍による北部侵攻の試みは事実上終わり、ゲティスバーグの戦いは南北戦争の転換点として位置づけられています。なお、同年11月にはエイブラハム・リンカーン大統領がこの地で著名な「ゲティスバーグ演説」を行い、その言葉は今日までアメリカ国民の記憶に深く刻まれています。