カウボーイと「キャトルドライブ」の黄金時代
カウボーイたちが巨大な牛の群れを北へと導き、グレートプレーンズ(大平原)を横断する新しい鉄道路線へと向かったのは、南北戦争後の時代、主に1860年代から1880年代にかけてです。
この時期はアメリカ西部における牧牛産業(キャトル産業)が急速に発展した時代であり、有名な「キャトルドライブ(牛の追い立て)」が本格的に始まった時期でもあります。
なぜ牛を鉄道まで運んだのか?
当時、テキサス州の牧場では牛が大量に飼育されていましたが、現地での価格は非常に安く、大きな利益にはなりませんでした。そこで、東部の都市市場で高値で取引するため、牛を鉄道の終着駅(レールヘッド)まで陸路で移動させる必要がありました。
カウボーイたちは数か月かけて数百頭から数千頭もの牛の群れを率い、チザム・トレイルなどの有名なルートを通ってカンザス州の鉄道町へと牛を追い立てました。到着した牛は鉄道で東部へ輸送され、屠殺・加工された後、アメリカ全土や海外の市場へと流通していったのです。
キャトルドライブの終焉
しかし1880年代後半になると、鉄道網の拡充によってテキサス近郊にも線路が敷かれるようになり、長距離のキャトルドライブの必要性は次第に失われていきました。さらに有刺鉄線による牧場の囲い込みや厳しい冬の寒波(ビッグ・ダイ・アップと呼ばれる大量死)も重なり、壮大な牛追いの時代は幕を閉じることになります。
それでも、この約20年間のキャトルドライブは、アメリカ西部開拓史における最も象徴的な出来事の一つとして、今日まで語り継がれています。