サム・ヒューストン(Sam Houston)とミラボー・B・ラマー(Mirabeau B. Lamar)は、いずれもテキサス共和国の大統領を務めた人物ですが、アメリカ先住民(インディアン)との緊張や紛争の問題を根本的に解決することはできませんでした。むしろ、両者の政策や行動は、しばしば不安定化と暴力を助長する結果となりました。
ヒューストンの融和路線
初代大統領ヒューストンは、若き日にチェロキー族のもとで暮らし、酋長に養子として迎えられた経験を持っていました。そのため彼は先住民との共存を重視し、条約交渉や通商の拡大を通じて平和的な関係構築を目指しました。しかし、白人入植者からの圧力や共和国の財政難により、先住民への約束が守られないことも多く、融和政策は十分に機能しませんでした。
ラマーの排除・絶滅政策
第2代大統領ラマーはこれとは正反対に、先住民の追放、すなわち「絶滅戦争」を掲げました。彼はチェロキー族の強制退去を断行し、1839年の戦闘では酋長ボウルズら多くの先住民が命を落としました。また、コマンチェ族との和平交渉が武力衝突に発展した事件以降、襲撃と報復の連鎖が続き、辺境の暴力は一層激化しました。
結局、問題は解決されなかった
再び大統領に返り咲いたヒューストンは融和政策への回帰を試みましたが、ラマー政権期の戦争と相互不信で損なわれた関係を修復するには至りませんでした。両政権を通じて先住民の土地は奪われ続け、紛争が繰り返される状況に変わりはありませんでした。
つまり、ヒューストンとラマーは先住民の不安の問題を解決したわけではなく、その政策と行動はむしろ不安と暴力を悪化させることが多かったのです。この問題の最終的な決着は、テキサスの米国併合後、連邦政府による保留地政策などをめぐる、さらに長く苦しい歴史の中で図られることになりました。