13植民地は「定款」に基づく統一政府を持っていたのか?
結論から言えば、いいえ。北米に存在した13のイギリス植民地は、当初から一つの定款(会社設立文書のようなもの)に基づいて共通の政府を設立していたわけではありません。
各植民地は独立した政治単位だった
13植民地はそれぞれが独立した植民地として成立し、独自の政府、議会、法制度を備えていました。バージニア、マサチューセッツ、ペンシルベニアなど、各植民地の成り立ちや統治形態は異なり、王領植民地、私領植民地、憲章植民地など多様なタイプが混在していました。
しかし、いずれの植民地も最終的にはイギリス王室(君主)への忠誠を前提としており、外交や防衛などの重要事項は本国イギリスの管理下に置かれていました。つまり、各植民地は「イギリス国王に仕える個別の政治体」だったのです。
統一へ向かったのは独立前後のこと
13植民地が初めて本格的に連携したのは、1765年の「印花税法会議」や大陸会議といった場でした。そして1776年の独立宣言後、1781年に発効した連合規約(Articles of Confederation)によって、ようやく正式な共通政府が誕生します。
さらに、連合規約下の中央政府の弱さが問題となった結果、1787年にはアメリカ合衆国憲法が制定され、より強力な連邦政府が確立されました。
まとめ
13植民地は最初から定款による統一体として作られたのではなく、それぞれ独自の政府を持ちながらイギリス王室に従属する個別の植民地でした。共通の政府は、独立という危機を経て、後に形成されたものなのです。