西暦1100年頃、世界で最も大きな都市だったとされるのが、中国・北宋王朝の首都開封(かいふう)です。当時の開封は推定100万人前後の人口を抱え、東西どの歴史書を見ても匹敵する都市は存在しなかったと考えられています。
世界最大の都市「開封」
開封は黄河流域に位置し、北宋の時代には「東京(とうけい)」と呼ばれ、帝国の政治・経済の中心として栄えました。運河網によって中国全土から物資が集まり、商業が飛躍的に発展。夜間も市場が開かれるなど、それまでの中国の都市とは一線を画す活気あふれる街でした。
開封の人口と都市規模
研究者の推定によれば、11世紀末から12世紀初頭の開封の人口は約100万人に達したとされます。城壁内だけでなく郊外まで市街地が広がり、当時のヨーロッパのどの都市よりもはるかに大きかったのです。『清明上河図(せいめいじょうがず)』という有名な絵巻には、繁華街のにぎわいや舟運で賑わう運河の様子が生き生きと描かれています。
杭州も世界有数の大都市
また、南の中心地である杭州(こうしゅう)も、当時すでに世界最大級の都市の一つでした。1127年に北宋が滅亡し、宋が南方へ遷都すると、杭州は南宋の首都「臨安(りんあん)」としてさらに発展し、13世紀には世界一の人口を誇る都市になったとも言われています。マルコ・ポーロが「この世で最も美しく壮麗な都市」と絶賛したことでも知られています。
同時代のその他の大都市
1100年頃の世界には、開封や杭州以外にも大都市が存在しました。ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル、イスラム世界の学問と商業の中心バグダッド、イベリア半島のコルドバなどは、それぞれ数十万人規模の人口を擁していました。しかし、そのいずれも開封の規模には及ばなかったと考えられています。
まとめ
西暦1100年前後の世界最大の都市は、間違いなく北宋の都・開封でした。豊かな農業生産力、発達した運河網、活発な商業活動——これらが支える巨大都市の出現は、中世中国の経済的成熟を象徴する出来事と言えるでしょう。