「スペインはクリストファー・コロンブスに航海用の船を与えた」というイメージを持たれがちですが、実際にはそれほど単純な話ではありません。コロンブスは当初、自らの西回り航路構想への支援を得るために、何年にもわたってヨーロッパ各国の王室や貴族を説得し続けなければなりませんでした。
リスクの高い「投資案件」として見られた大航海計画
当時のコロンブスの計画は、現代でいうベンチャー事業のようなもので、成功の保証がまったくない高リスク・高コストの冒険でした。大西洋を横断すればアジア(インド)へ到達できるという主張は、多くの専門家から懐疑的に見られており、断られるのが当然という状況だったのです。
ポルトガルとスペインでの度重なる拒絶
コロンブスはまず1484年にポルトガル王ジョアン2世に提案しましたが、却下されました。その後スペインに渡り、カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世に働きかけますが、グラナダ戦争の最中でもあったため、何度も保留や拒絶を繰り返されることになりました。
1492年、ついに実現した三隻の船団
転機が訪れたのは1492年です。グラナダ陥落によって戦争が終結すると、王室財務官ルイス・デ・サンタンヘルらの後押しもあり、イサベル女王はついに計画を承認します。同年4月には「サンタ・フェ協定」が結ばれ、スペイン王室が費用の一部を負担することが決まりました。こうして確保されたのが、旗艦サンタ・マリア号、そしてピンタ号とニーニャ号の三隻です。なお、これらの船はすべて新造されたものではなく、既存の商船を徴用・チャーターしたものでした。
まとめ
つまりスペインは「気前よく船を与えた」のではなく、コロンブスの粘り強い交渉の末、有望な投資先として出資を決めたのです。この決断こそが、1492年の最初の航海、ひいてはその後の世界史の大きな転換につながりました。