米軍はフィリピンで日本に降伏したのか
まず前提として、国家としてのアメリカ合衆国そのものが日本に降伏したことはありません。ただし、第二次世界大戦中、フィリピンに駐留していた米軍およびフィリピン軍は、日本軍に対して降伏しています。以下、その経緯を時系列で解説します。
1942年4月9日:バターン半島での降伏
1941年12月、真珠湾攻撃とほぼ同時に日本軍はフィリピンへ侵攻しました。マニラ陥落後、米比合同部隊はバターン半島とコレヒドール島へ撤退し、数か月にわたる激しい攻防の末、1942年4月9日にバターン半島の米比軍約7万6千人が日本軍に降伏しました。これはアメリカ軍史上最大規模の降伏とされています。
なお、総司令官だったダグラス・マッカーサー大将は降伏直前の1942年3月にフィリピンを離れてオーストラリアへ移っており、その際「アイ・シャル・リターン(I shall return)」という有名な言葉を残しています。
1942年5月6日:コレヒドール島での最終降伏
バターン降伏後も、マニラ湾の要塞島コレヒドールでは抵抗が続きましたが、1942年5月6日、ジョナサン・ウェインライト中将が残存部隊とともに降伏し、ここにフィリピン全土が日本軍の占領下に入りました。
1944年10月20日:マッカーサーの帰還とフィリピン解放
その後およそ2年半の時を経て、1944年10月20日、マッカーサー率いる米軍を主力とする連合国軍がレイテ島に上陸し、フィリピン奪還作戦を開始しました。この上陸こそが約束された「帰還」であり、日本によるフィリピン占領からの解放が本格的に始まり、太平洋戦争全体の勢力図も連合国側に大きく傾いていきました。
まとめ
アメリカという国家自体は日本に降伏していませんが、フィリピンに展開していた米比軍は1942年4月9日(バターン)、さらに同年5月6日(コレヒドール)に日本軍へ降伏しました。そして1944年10月20日、マッカーサー将軍が部隊を率いてフィリピンの地に再び足を踏み入れ、占領からの解放が幕を開けたのです。