答えは「日米和親条約(神奈川条約)」
1854年(嘉永7年)、アメリカ海軍のマシュー・カルブレイス・ペリー提督が交渉を主導し、日本とアメリカ合衆国の間で調印されたのが「日米和親条約」、通称「神奈川条約」です。この条約の締結により、200年以上にわたって続いた日本の鎖国政策に終止符が打たれることになりました。
黒船来航から条約締結まで
ペリー提督は1853年(嘉永6年)6月、4隻の艦船を率いて浦賀に来航しました。この出来事は「黒船来航」と呼ばれ、日本社会に大きな衝撃を与えます。開国を求める大統領親書を幕府に手渡したペリーは、翌年の回答を求めて一旦引き上げました。
翌1854年3月、再び来航したペリーは横浜(当時の神奈川沖)において幕府代表との交渉を行い、同年3月31日に日米和親条約が調印されました。なお、実際の署名は日本側が大学頭の林韑(はやし・あきら)、アメリカ側がペリー提督によって行われています。
条約の主な内容
- 下田と箱館(現在の函館)の2港を開港し、アメリカ船への水・食料・石炭などの補給を許可すること
- 難破したアメリカ船員(漂流民)の救済と保護
- 下田へのアメリカ領事駐在を認め、最恵国待遇を付与すること
条約の歴史的意義
日米和親条約は本格的な通商条約ではありませんでしたが、鎖国体制にあった日本が欧米諸国との関係を正式に樹立した最初の条約として、極めて重要な意味を持っています。この条約をきっかけに、日本はイギリス、ロシア、オランダなどとも同様の条約を次々と締結していきました。
その後、1858年には日米修好通商条約(ハリス条約)が締結され、貿易の全面開放と開港場の拡大が実現します。こうして日本は開国へと大きく舵を切り、幕末の激動を経て明治維新へとつながる近代化への道を歩み始めたのです。