結論から言えば、アレクサンダー大王がオーストラリアを征服することはありませんでした。これは歴史上の明確な事実です。
アレクサンダー大王の実際の征服範囲
紀元前4世紀に活躍したマケドニア王国の王アレクサンダー大王(紀元前356年~紀元前323年)は、古代世界の広範な地域を征服しました。その版図には以下の地域が含まれます。
- ギリシャ本土およびバルカン半島
- 小アジア(現在のトルコ)
- エジプト(アレクサンドリア市を建設)
- ペルシア帝国の全領土
- 中央アジア一帯
- インド北西部(ヒュダスペス河畔の戦いまで)
つまり、彼の遠征はヨーロッパ、アジア、アフリカの一部に及びましたが、その足跡はインド亜大陸北西部で止まり、それより東や南の地域へ進むことはありませんでした。
なぜオーストラリアとは無関係なのか
アレクサンダー大王が死去したのは紀元前323年、わずか32歳の若さでした。当時の地中海世界にとって、オーストラリア大陸の存在自体がまったく知られていなかったのです。
ヨーロッパ人がオーストラリアに到達したのは、それから約2000年後のことです。17世紀にオランダ人の探検家たちが初めてオーストラリア北部の海岸線を記録し、1770年にはイギリスのジェームズ・クック船長が東海岸を探索しました。
まとめ
アレクサンダー大王とオーストラリアの間には、時間的にも地理的にも一切の接点がありません。「アレクサンダー大王のオーストラリア征服」という話は史実ではなく、あくまで誤解または架空の逸話です。彼の偉大な功績は、あくまで古代オリエント世界における壮大な征服事業にあると言えるでしょう。