結論から言えば、リリウオカラニ女王には選択の余地がほとんどありませんでした。ハワイ王国最後の君主である彼女は、ハワイ共和国の武力による圧力の前で、事実上退位を強制されたのです。ハワイ共和国とは、アメリカ合衆国政府の支援を受けて王政を転覆した、少数のアメリカ系実業家たちによって樹立された政権でした。
1893年のクーデターと女王の「降伏」
1893年1月、サトウキビ栽培などで利益を得ていたアメリカ系・欧州系の実業家グループ「安全委員会」がクーデターを起こしました。彼らは当時ホノルル港に停泊していた米艦「ボストン」から上陸した海兵隊の支援を受け、イオラニ宮殿を制圧します。
リリウオカラニ女王は、戦闘によって自国民に流血の惨禍が及ぶことを避けるため、抗議の意を明確に残したうえで主権の一時停止を表明しました。これは「無抵抗の降伏」であり、女王自身の自由な意思による譲歩ではなかったことに注意が必要です。彼女はこの転覆が違法であることを強く訴え続け、その回復を米国政府に求めました。
退位の強要――1895年の決定的な瞬間
1895年、王政復古を目指す支持者たちによる武装蜂起(ウィルコックス反乱)が失敗に終わると、状況はさらに悪化しました。ハワイ共和国当局は女王を逮捕してイオラニ宮殿内の一室に監禁し、反乱に加担した支持者たちに重刑を科そうとしました。
そこで共和国側は女王に対し、「正式に退位し、支持者たちの赦免状に署名すれば、投獄された者たちの処遇を緩和する」という条件を突きつけました。愛する臣民の命を守るため、女王はやむなく署名せざるを得ませんでした。つまり、この退位は脅迫の下で行われたものであり、女王に真の意味での「選択」は存在しなかったのです。
歴史が認めた不正義
1993年、クーデターから100周年にあたり、アメリカ合衆国議会は「謝罪決議」(公共法103-150号)を採択し、ハワイ王国の転覆が先住民の主権を不法に剥奪した行為であったことを公式に認めました。この決議は、リリウオカラニ女王が置かれた状況が、いかに不当な力関係の中にあったかを裏付けるものといえます。
女王の「降伏」は臆病さや敗北の受容ではなく、自国の人々の命を優先した苦渋の決断でした。しかし、その背後には拒否すれば流血と弾圧が待ち受けているという、動かしがたい現実が横たわっていたのです。