歴史の記憶を体現する偉人たち
どの国にも、その国の歴史的記憶を体現する偉人が存在します。彼らは過去に関する尽きることのない情報源であり、かつての時代がどのように歩んできたのかを知りたい人々にとって、力強く信頼できる参考文献となっています。たとえば『ペルー――問題と可能性』という著作を読むことは、教師にとっても学生にとっても、ガルシラソの『インカ王統記』やマリアテギの『ペルーの現実についての七つの試論』を読むことと同じほど不可欠です。この共和国史における基本書の著者こそ、本連載「そして、あの人は誰だったのか?」の主人公です。1903年2月12日(水曜日)、生誕の日を迎えたホルヘ・バサドレとは、一体誰だったのでしょうか。
ペルー共和制時代を最も深く研究した歴史家
ホルヘ・バサドレは、間違いなくペルーの共和制時代を最も徹底的に研究した、現代ペルーを代表する歴史家です。その業績は膨大で、教育学・歴史学・文学批評といった幅広い分野における論考、研究、調査によって構成されています。
タクナへの誕生と幼少期
ホルヘ・バサドレ・グローマンは1903年2月12日、タクナに生まれました。父はタクナ出身の技術者兼政治家カルロス・バサドレ・フォレロ、母はドイツ系のオルガ・グローマン・ピビダルです。バサドレが生まれたのは、1879年に勃発した太平洋戦争の末にペルーが失ったタクナとアリカ両州を巡り、ペルーとチリが対立を続けていた時代でした。1911年、父の死から2年後に家族はリマへ移住。少年バサドレはドイツ学校(コレヒオ・アレマン)に学び、のちにグアダルーペ国立学校(コレヒオ・ヌエストラ・セニョーラ・デ・グアダルーペ)で学業を修めました。
サン・マルコス大学での歩み
わずか16歳でサン・マルコス大学に入学し、25歳で文学博士号、32歳で法学博士号を取得しました。バサドレは国立図書館で図書保存係として勤務したほか、母校が刊行する書誌速報の編集者も務めています。
タクナ返還とチリとの関わり
1929年の条約により、バサドレの生まれたタクナ州は再びペルー領となり、アリカは正式にチリの管轄下に置かれることになりました。この条約は、歴史家バサドレ自身が積極的に関わった一連の経緯の結末でもありました。タクナが祖国に復帰する3年前、帰属を決める住民投票(プレビシト)の実施方法を協議するため紛争地域に派遣されたペルー代表団の一員だったバサドレは、チリ人群衆による暴力的な襲撃を受けていたのです。
教育者・図書館長としての経歴
26歳のとき、当時アレハンドロ・オクタビオ・デストゥアが学長を務めていた母校サン・マルコス大学で「ペルー史」講座の教授として教壇に立ちます。1930年代には大学図書館の館長を務める一方、サン・マルコス大学では「ペルー法制史」を、ペルー・カトリック大学では「ペルー史」を講義しました。1943年、痛ましい国立図書館火災の際には、その組織運営能力を買われたマヌエル・プラード・イ・ウガルテチェ大統領により館長に任命されます。そして1944年には国立司書養成学校を創設。これはペルーの学術文化にとって極めて重要な出来事でした。
公共教育大臣として
ホセ・ルイス・ブスタマンテ・イ・リベロ政権(1945年〜)およびマヌエル・プラード政権(1956年〜)の下で、この卓越した歴史家にして愛国者は公共教育大臣を務め、また1952年から1962年にかけてはペルー歴史研究所の所長を務めました。その大臣在任期間は、ペルーの教育制度改革の基盤を築いたものであり、ペルー教育史上きわめて重要な時期といえます。
ペルーの未来への揺るぎない信念
バサドレは、ペルーには計り知れない発展の潜在力があると確信していました。この情熱的なペルー人は、植民地時代の重荷とそれがもたらした諸問題、さらにはチリとの戦争にもかかわらず、南米の若い国家の明るい未来を信じるに足る兆候と希望が、共和制時代においてすでに見えていたと考えていたのです。
主な著作
ホルヘ・バサドレ・グローマンの主な著作としては、『過ち』(1928年)、『共和国の始まり』(1929年)、『ペルー史における群衆・都市・農村』(1929年)、『ペルー――問題と可能性』(1931年)、『ペルー法制史とインカ文学』(1938年)、『ペルー共和国史』(1939年)、『世界年代記の中のペルー』(1957年)、『ペルーの選挙と中央集権』(1980年)など、枚挙にいとまがありません。
受け継がれる遺産
バサドレの友人であり、指導を受けた一人でもある傑出した歴史家グスタボ・ポンス・ムッソは、不朽の名作『ペルー共和国史』に献辞を贈られたときの喜びは人生で何ものにも替えがたかったと語っています。ペルーについてこれほど膨大で、これほど整然とした業績を残した知識人は他に存在しません。ペルーの人々が自国の歴史を学べるのは、この優れた知識人にして愛国者の賜物なのです。ホルヘ・バサドレは1980年6月29日、リマで77年の生涯を閉じました。