南アメリカの歴史

第一次世界大戦とは?原因・経過・戦後の影響までわかりやすく解説

第一次世界大戦(1914年~1918年)は、ヨーロッパ列強のあいだで帝国主義がもたらした恒常的な摩擦が積み重なり、ついに世界規模の衝突へと発展した戦争です。

戦争は4年間続き、1914年7月28日に始まり、1918年11月11日、フランス・イギリス・アメリカなどを中心とする連合国(三国協商側)の勝利によって終結しました。

第二次世界大戦が起こるまでは単に「大戦争」と呼ばれたこの戦争は、まさに地球規模の紛争でした。ヨーロッパで始まり、アフリカやアジアの植民地、さらにはアメリカ大陸の国々をも巻き込みました。

対立したのは二つの陣営です。ひとつはドイツ・オーストリア・イタリアからなる三国同盟、もうひとつはフランス・イギリス・ロシアからなる三国協商でした。

参戦国は5大陸17カ国に及びました。ドイツ、ブラジル、オーストリア=ハンガリー、アメリカ、フランス、イギリス(英帝国)、オスマン帝国、イタリア、日本、ルクセンブルク、オランダ、ポルトガル、ルーマニア王国、セルビア王国、ロシア、オーストラリア、中国などが含まれます。

この戦争により、1000万人の兵士が命を落とし、さらに2100万人が負傷しました。加えて1300万人の一般市民が犠牲となりました。

第一次世界大戦とは?原因・経過・戦後の影響までわかりやすく解説

第一次世界大戦の原因

第一次世界大戦を引き起こした要因は複数あります。

19世紀末以降、世界は慢性的な緊張状態にありました。目覚ましい工業成長は軍拡競争、すなわちかつて想像もされなかった規模での武器生産を可能にしました。

ドイツ帝国の膨張主義と、ヨーロッパ最大の工業国への変貌は、ドイツとフランス・イギリス・ロシアとのあいだに深刻な不信感を生み出しました。

第一次世界大戦の背景

そこに加わっていたのが、フランスとドイツ、ロシアとドイツ、イギリスとドイツの古い対立関係です。また、ベルリン会議(1884~85年)で生じた植民地の境界線をめぐる対立も火種となりました。

仏独間の敵対感情は普仏戦争に端を発します。敗北したフランスは、鉄鉱石の産地として豊かなアルザス=ロレーヌ地方をドイツに割譲することを強いられました。

露独の対立は、石油資源の豊かな地域を通ってベルリンとバグダッドを結ぶ鉄道を建設しようとするドイツの構想が原因でした。ロシアはまさにその地域への影響力を強めようとしていたのです。

英独間の敵対は、ドイツとの工業競争で説明できます。開戦前夜には、それまでイギリスが支配していた市場にドイツ製品が流入し始めていました。

こうした問題すべてが、工業化された列強のあいだで経済的・政治的利益の衝突が激化するにつれ、戦争を不可避なものにしていったのです。

開戦の引き金――サラエボ事件

同盟網は、いつ爆発してもおかしくない爆弾のようなものでした。

1908年、オーストリアはセルビアとロシアの利益に反して、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの併合を宣言しました。

新たな統治下の人々との良好な関係を示すため、オーストリア皇位継承者のフランツ・フェルディナント大公は、妻とともに1914年6月28日、この地域を訪問しました。しかしこの日、ボスニア人学生がボスニアの首都サラエボでフランツ・フェルディナント夫妻を暗殺したのです。

この二重殺害こそ、1918年11月11日まで続く第一次世界大戦勃発の口実となりました。

第一次世界大戦とは?原因・経過・戦後の影響までわかりやすく解説

第一次世界大戦の経過

開戦当初、兵力の数では両陣営はほぼ均衡していましたが、装備や資源には差がありました。

たとえば三国協商側は長距離砲を持たなかったものの、イギリスの圧倒的な海軍力によって海洋を支配していました。

戦車、戦艦、潜水艦、大口径榴弾砲、航空機といった当時の技術革新は、大きな破壊力を持つ兵器群を生み出しました。

重砲と78個師団を擁するドイツ軍はベルギーへ進入し、その中立を侵犯しました。国境でフランス軍を破ると、パリへと進軍します。

フランス政府はボルドーへ移転しましたが、マルヌの戦いでドイツ軍を食い止め、撤退させることに成功しました。

その後、フランス軍とドイツ軍は西部戦線全域に沿って塹壕を掘り、陣地を築きました。有刺鉄線に守られた兵士たちは塹壕の中に潜み、そこでは泥・寒さ・ネズミ・チフスが機関銃や大砲と同じくらい多くの命を奪いました。この時期は「塹壕戦」と呼ばれます。

1917年、それまで資本の貸付や武器の販売(主にイギリス向け)を通じて協商国を支援しながら戦争から距離を保っていたアメリカが、ドイツに宣戦布告しました。

同じ年、ロシアでは1917年革命が皇帝を打倒し社会主義政権を樹立したため、戦争から離脱しました。

第一次世界大戦の結果と影響

ドイツは相次ぐ敗北を重ね、同盟国も降伏していたにもかかわらず、ドイツ政府は戦争を続けていました。飢えと疲弊に苦しんだドイツ国民は反乱を起こし、兵士と労働者は皇帝(カイザー)に退位を迫りました。

臨時政府が樹立され、ワイマール共和国が宣言されます。1918年11月11日、新政府はドイツの降伏文書に調印しました。第一次世界大戦はここに幕を閉じますが、恒久平和は1919年のヴェルサイユ条約調印によってようやく確定しました。

条約の条件のひとつは、ドイツ領土の一部を隣接諸国へ割譲することでした。

ドイツはまたアフリカの植民地を失い、ワイマール共和国はオーストリアの独立を認めさせられました。同時に、戦争で生じた損害の賠償として、当時およそ330億ドルに相当する莫大な賠償金の支払いも義務づけられました。

これらの条件は屈辱的とみなされ、1933年のワイマール共和国崩壊、そしてアドルフ・ヒトラーとナチズムの権力掌握につながる口実として利用されました。こうしてわずか20年余り後の1939年、第二次世界大戦が引き起こされることになったのです。

条約の内容への反発は、第一次世界大戦の主要な帰結のひとつといえます。

「大戦争」は全世界に深い爪痕を残しました。主な影響は以下の通りです。

  • ヨーロッパおよび中東の政治地図が描き直された
  • 自由主義資本主義の凋落を象徴づけた
  • 国際連盟の創設につながった
  • アメリカの経済的・政治的な台頭を可能にした

第一次世界大戦とブラジル

1917年4月、ドイツはイギリス海峡でブラジル商船パラナ号を撃沈しました。報復としてブラジルはドイツとの国交を断絶します。

10月には別のブラジル船マカウ号が攻撃を受けました。1917年末には医療チームと兵士がヨーロッパへ渡り、協商国を支援しました。

入試問題で理解を深めよう

問1.(Acafe-2015)第一次世界大戦(1914~1918年)の開戦は2014年に100周年を迎えた。工業化されたヨーロッパにおける経済的・帝国主義的・ナショナリズム的な争いの結果として起きた、甚大な規模の紛争であった。

第一次世界大戦とその背景について述べた次の記述のうち、誤っているものはどれか。
a) バルカン問題は、アドリア海の支配をめぐるドイツとハンガリーの争いを浮き彫りにし、セルビアが主導する汎スラヴ主義とドイツが主導する汎ゲルマン主義というナショナリズム運動を衝突させた。
b) 三国同盟の一員として開戦したイタリアは、領土補償の提案を受けて三国協商側に加わった。
c) ロシアは終戦まで戦い続けなかった。社会主義革命のため、ドイツと条約を結び、戦争から離脱した。
d) 開戦時、関係各国では群衆が街頭に出て開戦を祝った。忠誠心と愛国心が合言葉となったのである。

解答:a ――バルカン問題の中心は、アドリア海をめぐるドイツとハンガリーの争いではなく、オーストリア=ハンガリーとセルビア(およびそれを支援するロシア)の対立でした。

問2.(FGV-RJ 2015)第一次世界大戦におけるブラジルの参加について正しいのはどれか。
a) ブラジル政府は1914年、サントス港を出航したばかりのコーヒーを積んだ船が雷撃されたことを受け、ドイツに宣戦布告した。
b) ドイツ系の外務大臣ラウロ・ミュラーの意向により、ブラジル政府は紛争全体を通じて中立を保った。
c) 1916年からブラジル陸軍は数千人の兵士をベルギーと北フランスに上陸させ、戦闘に参加した。
d) ブラジルは医療使節団、少数の将校からなる部隊、そしてドイツ潜水艦との交戦に関わった海軍艦隊を派遣した。
e) アルゼンチンとともに、ドイツの攻勢に対抗して南大西洋を哨戒する国際海軍艦隊を組織した。

解答:d ――ブラジルは医療使節団、少数の陸軍将校部隊、そしてドイツ潜水艦との交戦に関わった海軍艦隊を派遣しました。

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