南アメリカの歴史

ジョアン・グラール(ジャンゴ)とは?ブラジル第24代大統領の生涯と政権、1964年クーデター

ジョアン・グラール(João Goulart)、通称「ジャンゴ(Jango)」は、ブラジル連邦共和国の第24代大統領です。1961年8月にジャニオ・クアドロス大統領が突如辞任したことを受け、同年9月7日に大統領に就任し、1964年までブラジルを統治しました。

ジョアン・グラールの生涯

ジョアン・ベルキオール・マルケス・グラールは、1919年3月1日、リオグランデ・ド・スル州サンボルジャにあるイグアリアサー農場で生まれました。

裕福なガウーショ(南米パンパの牧童)の家系の出身で、父ヴィセンテ・ロドリゲス・グラールは大佐(コロネル)、母ヴィセンチナ・マルケス・グラールは農場の女主人でした。

ジョアンは8人兄弟の長男として、サンボルジャで幼少期を過ごしました。近隣の町イタキにあるテレジアン修道会の学校に学んだ後、ウルグアイアーナのサンタナ寄宿学校へ進み、さらにポルトアレグレのアンキエタ学院で学びました。

州都ポルトアレグレでは法学部で法律を学び、同郷の政治家ジェトゥリオ・ヴァルガスとともに政界で大きな存在感を示すようになりました。

1964年の軍事クーデターによって大統領職を追われた後は亡命生活を送り、1976年12月6日、アルゼンチン・コリエンテス州メルセデスにて57歳でこの世を去りました。

ジョアン・グラールの政権

彼の政治キャリアは、1946年にブラジル労働党(PTB)が創設されたことに始まります。グラール自身は1952年から1964年まで同党の全国党首を務めました。

1947年にはリオグランデ・ド・スル州議会議員に当選。1950年には約4万票を獲得して連邦下院議員に選出されました。これは、1930年から1945年までブラジルを統治した友人であり同郷でもあるジェトゥリオ・ヴァルガス(1882〜1954)の支援によるもので、グラールが政界で名声を確立した最初の足がかりとなりました。

さらに、第二次ヴァルガス政権下では、1953年から1954年にかけて労働産業商務大臣を務めました。

注目すべきは、グラールが副大統領に2度当選している点です。まず1955年にはジュセリノ・クビシェッキの、続いて1960年にはジャニオ・クアドロスの副大統領に選ばれています。

1961年8月のクアドロス辞任を受けて、グラールは同年9月7日に大統領に就任しました。しかし、軍部や保守政党UDN(全国民主同盟)は、彼の大統領昇格に強く反対していました。

一方、ジャンゴは労働者階級、労働組合、学生といった大衆層から圧倒的な支持を受けていました。彼が大統領に就任した当時、ブラジルは政治的・経済的な危機に見舞われ、深刻な混乱状態にありました。

そこでジャンゴは憲法改正を含む国家の抜本的な変革を目指し、とりわけ教育・財政・政治・農業の各分野における「基礎改革」を提唱しました。具体策としては、農地改革、税制改革、選挙改革(非識字者への参政権付与)、大学改革などが挙げられます。

しかしその政策は賛否両論を巻き起こし、1963年には対外債務が急増し、インフレ率は74%近くに達するなど、国の経済は極めて厳しい状況に陥りました。

1964年の軍事クーデター

1964年3月31日、ジャンゴ政権に反対する勢力(軍部および保守派の政治家)によってクーデターが起こされ、これは後に「64年クーデター」として知られることになりました。

ジョアン・グラール(ジャンゴ)とは?ブラジル第24代大統領の生涯と政権、1964年クーデター

このクーデターの目的の一つは、「共産主義者」として糾弾されていたジョアン・グラール大統領の排除にありました。軍部が権力を掌握すると、ジャンゴはウルグアイへ亡命し、そのまま帰国することなく亡命先で生涯を終えたのです。

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