南アメリカの歴史

ジャック・カルティエの最初の植民地はなぜ失敗したのか?――その舞台はモントリオールではなくシャルブール=ロワイヤル

フランスの探検家ジャック・カルティエ(Jacques Cartier)は、実はモントリオールに植民地を建設していません。彼が恒久的なヨーロッパ人入植を試みたのは、それより2年前の1541年、現在のケベック市近郊にあたる「シャルブール=ロワイヤル(Charlesbourg-Royal)」でした。

カルティエとモントリオールの本当の関係

カルティエは1535年の第二次航海で、セントローレンス・イロコイアンの村ホクテラガ(Hochelaga)を訪れました。この村があったのが現在のモントリオール付近ですが、彼はここに入植地を築いたわけではありません。モントリオール市そのものが誕生したのは約100年後の1642年、ポール・ショメディ・ド・メゾンヌーブによる「ヴィル=マリー(Ville-Marie)」の建設が最初です。

シャルブール=ロワイヤルとは

1541年、カルティエは第三次航海でセントローレンス川流域への恒久植民地建設を命じられました。彼は現在のケベック市近郊キャップ=ルージュ(Cap-Rouge)一帯に要塞を備えた入植地「シャルブール=ロワイヤル」を築き、約400人の入植者が暮らす、フランス初の北米恒久植民地となるはずでした。

植民地が失敗した主な理由

1. 厳しい冬と壊血病

カナダ東部の冬は想像以上に過酷で、十分な備蓄も暖房手段もない入植者たちは寒さに苦しみました。さらに新鮮な野菜や果物の不足により壊血病が蔓延し、多くの犠牲者が出ました。

2. 先住民との関係悪化

当初友好的だったスタダコナ(Stadacona)の人々との関係は、食料調達をめぐる摩擦や誤解が重なり、次第に対立へと変わっていきました。入植者は周囲からの攻撃におびえながら生活することになります。

3. 「金」と「ダイヤモンド」の幻

カルティエが持ち帰った「金鉱石」と「ダイヤモンド」は、帰国後の鑑定でそれぞれ黄鉄鉱(パイライト)と水晶であることが判明しました。この「偽りの富」は、フランス王室の植民地経営への意欲を大きく損ないました。

4. 本国からの支援不足

期待された利益が得られなかったため、補給や追加投資は滞り、植民地を維持する力を失っていきました。

その後の顛末

1542年、救援に来たロベルヴァル(Roberval)と合流した後、シャルブール=ロワイヤルは放棄されました。ロベルヴァルは近くに「フランス=ロワ(France-Roy)」という新しい入植地を築きましたが、これも翌1543年には失敗に終わっています。

こうしてフランスによる北米初の恒久植民地の試みは頓挫しましたが、カルティエの探検がもたらした地理的知識や毛皮交易への関心は、1608年にサミュエル・ド・シャンプランがケベックを建設するヌーベルフランスの時代へと受け継がれていきました。