南北戦争後のアメリカ合衆国、特に南部諸州では、アフリカ系アメリカ人(黒人)の公民権を制限する一連の法律が制定されました。これらの法律は、投票権や陪審員として裁判に参加する権利など、基本的な政治的・法的権利を体系的に奪うものでした。本記事では、黒人の権利を否定した代表的な法律とその背景について詳しく解説します。
黒人法典(Black Codes)
南北戦争直後の1865年から1866年にかけて、南部諸州は「黒人法典」と呼ばれる法律群を制定しました。これは、奴隷制度の廃止後に解放された黒人を再び従属的な地位に固定することを目的としたもので、主な内容は以下の通りです。
- 投票権の剥奪
- 陪審員としての任務からの排除
- 法廷において白人に対して証言する権利の制限
- 銃器の所持禁止
黒人法典は、形式的には自由となった黒人を実質的に再び支配下に置こうとする試みでした。
ジム・クロウ法(Jim Crow Laws)
19世紀末から20世紀初頭にかけて、南部諸州では「ジム・クロウ法」が制定されました。これは黒人と白人の分離(人種隔離)を法制化するもので、学校、公共交通機関、公共施設など社会のあらゆる場面で差別を合法化しました。さらに、以下のような巧妙な手段を通じて、黒人から事実上の投票権を奪いました。
- リテラシー・テスト(識字試験):読み書きの能力試験を投票資格の条件とし、教育の機会を奪われていた黒人を不合格にしました。
- 人頭税(ポール・タックス):投票時に税金の納付を義務付け、経済的に困窮する黒人を排除しました。
- 祖父条項:「祖父の世代に投票権を持つ者」だけを登録対象とすることで、奴隷の子孫である黒人を制度的に締め出しました。
権利保護を目指した連邦法との攻防
一方、連邦政府レベルではこうした差別に対抗する取り組みも行われました。1871年の「Ku Klux Klan法(強制執行法)」は、憲法修正第14条・第15条を施行するために制定され、黒人の公民権や投票権を妨害する行為を連邦犯罪と定めました。また、1875年の「公民権法」は、公共施設における差別や陪審員選任での差別を禁止し、連邦政府に違反者を訴追する権限を与えました。
しかしながら、1883年の最高裁判決により公民権法の主要部分が無効化されると、南部諸州による差別立法は再び拡大。黒人は長きにわたり政治プロセスから排除され、司法への平等なアクセスも拒まれ続けました。
まとめ
黒人の投票権や陪審員としての参加権を直接否定したのは、主に南部諸州が制定した黒人法典とジム・クロウ法です。これらの法律は約1世紀にわたって存続しましたが、公民権運動の成果として1964年の公民権法、そして1965年の投票権法が成立し、ようやくその法的基盤は撤廃されることになりました。