南アメリカの歴史

カスターはリトル・ビッグ・ホーンへ向かう途中でガトリング砲を置き忘れたのか?歴史的事実を検証

「ジョージ・アームストロング・カスター中佐が自由に使えるガトリング砲を持っていたが、リトル・ビッグ・ホーンへ向かう途中で置き忘れた」という話は、歴史的な事実ではありません。この主張を裏付ける証拠は一切存在せず、リトル・ビッグ・ホーンの戦い(1876年6月25日)以前に、第7騎兵連隊へガトリング砲が支給されたという記録もありません。

第7騎兵連隊とガトリング砲の関係

当時の第7騎兵連隊の装備記録によれば、連隊にガトリング砲は配備されていませんでした。騎兵部隊として機動性を最優先していたため、重量があり取り扱いの難しいガトリング砲は、標準的な装備には含まれていなかったのです。

テリー将軍の申し出をカスターは自ら辞退した

興味深いことに、遠征全体の指揮を執っていたアルフレッド・H・テリー准将は、カスターに対しガトリング砲3門の提供を申し出たことがあります。しかしカスターは「機動力が損なわれる」との判断から、これを辞退しました。この経緯は、1879年に行われたマーカス・リノ少佐の法廷調査(リノ法廷尋問)における証言にも記録として残っています。

つまりカスターは、ガトリング砲を「置き忘れた」のではなく、そもそも最初から携行しないことを自ら選んでいたのです。

もしガトリング砲があったら戦況は変わったのか

一部の歴史家の間では、「ガトリング砲があれば戦いの帰結は変わったのではないか」という議論が続けられてきました。しかしながら、戦場となったモンタナ州の渓谷地帯は起伏に富み、川や谷が入り組んでいたため、重装備による移動は極めて困難だったと考えられています。さらに、圧倒的な規模のラコタ・ノーザン・シャイアン連合軍を相手に、わずか数門のガトリング砲で結果を覆せたかどうかについては、懐疑的な見方が主流です。

まとめ

「カスターがガトリング砲を持っていたのに置き忘れた」という逸話は後世の創作であり、史実ではありません。第7騎兵連隊にガトリング砲は支給されておらず、仮に提供の申し出があったとしても、カスター自身が機動性を優先してこれを辞退したことが記録に残っています。