アトランタをめぐる戦いとは?
アメリカ南北戦争(1861〜1865年)において、ジョージア州アトランタの占領は戦局を大きく左右する転換点となりました。まず押さえておきたいのは、アトランタを占領したのは南軍ではなく北軍(連邦軍)であるという点です。
「アトランタの戦い」とは
アトランタ陥落につながった中心的な戦いとして知られているのが、アトランタの戦い(Battle of Atlanta)です。1864年7月22日、ウィリアム・T・シャーマン将軍率いる北軍に対し、ジョン・ベル・フッド将軍指揮下の南軍が攻撃を仕掛けましたが、結果は北軍の勝利に終わりました。
この戦闘はシャーマン将軍による「アトランタ方面作戦」の一環として行われたもので、鉄道遮断をめぐる激しい攻防が特徴でした。最終的に北軍は同年9月2日にアトランタを占領し、この勝利はリンカーン大統領の再選にも大きな影響を与えたとされています。
エズラ教会の戦いとの違い
しばしば混同されがちですが、「アトランタの戦い」と「エズラ教会の戦い(Battle of Ezra Church)」は別個の戦闘です。エズラ教会の戦いは1864年7月28日に行われ、南軍の攻撃を北軍が撃退した戦いとして知られています。両者はいずれもアトランタ攻囲戦の過程で起こった戦闘であるという点で共通しています。
歴史的意義
アトランタの占領は、単なる都市の攻略にとどまらず、南軍の補給線と士気を断つというシャーマンの戦略の象徴でした。北軍はアトランタを足がかりとして後の「海への進軍」を開始し、南部の戦争遂行能力に決定的な打撃を与えることになります。
まとめ
アトランタ陥落の鍵となったのは、1864年7月22日の「アトランタの戦い」です。これを含む一連の戦闘の末、同年9月に北軍が同市を占領しました。「南軍が占領した」という記述が見られることもありますが、史実としては北軍による占領である点に留意しましょう。