南アメリカの歴史

ミズーリ州が州になろうとしたとき、北部と南部はどう反応したのか?

19世紀初頭、ミズーリ準州がアメリカ合衆国への加盟を申請すると、国内は瞬く間に奴隷制をめぐる激しい論争に巻き込まれました。当時の合衆国は自由州と奴隷州の数がほぼ均衡しており、ミズーリをどちらの側として迎え入れるかが、議会における南北の勢力図を左右しかねない重大な問題だったのです。

北部と南部の真っ向対立

北部はミズーリの連邦加盟に強く反対しました。ミズーリは奴隷制を認める「奴隷州」として加盟を求めていたためです。北部の人々は、ここで奴隷州を1つ増やせば、西部の新領土へ奴隷制がさらに拡大していくのではないかという強い危機感を抱いていました。

一方、南部はミズーリの加盟を熱心に支持しました。南部にとって、奴隷州の数が減れば連邦議会での発言力が低下し、国内における自らの政治的地位が弱まることは看過できない問題だったからです。こうして、同じ出来事に対して北部と南部が正反対の反応を見せるという、深刻な地域対立が表面化しました。

ミズーリ妥協(1820年)の成立

この論争は、合衆国史上最も分裂的で影響の大きい出来事の一つとなりました。最終的に1820年、「ミズーリ妥協」が成立します。その骨子は、ミズーリを奴隷州として連邦に加える一方、勢力均衡を保つためメインを自由州として新たに加盟させ、さらにルイジアナ買収地の北緯36度30分以北では奴隷制を禁止するというものでした。これにより奴隷制問題は一時的に収拾されました。

それでも消えなかった火種――南北戦争への伏線

しかし、この妥協は根本的な解決にはなりませんでした。奴隷制という国家の矛盾を先送りにしたにすぎず、その後も新しい領土が合衆国に加わるたびに同様の対立が繰り返されることになります。そして1861年、ついに南北戦争が勃発しました。ミズーリ州の加盟問題は、国家分裂という悲劇へとつながっていく、歴史の大きな転換点だったといえるでしょう。