リンカーン当選前の「脱退」は交渉カードにすぎなかった
アメリカ合衆国からの脱退(分離独立)の危機が本格化したのは、エイブラハム・リンカーンが大統領に当選した後のことでした。それ以前、南部の政治家たちの多くは脱退を口にこそすれ、実際に実行するつもりはありませんでした。彼らは「北部が南部を連邦に留めるためにまで戦争をするはずがない」と考え、最終的には交渉によって自らの要求を通せるだろうと楽観視していたのです。
リンカーン当選が状況を一変させた
しかし1860年の大統領選挙でリンカーンが当選すると、事態は大きく動きます。奴隷制の拡大に反対するリンカーンの勝利は、南部諸州にとって受け入れがたい結果であり、「北部は決して譲歩しない」ということが明白になりました。もはや交渉による解決は期待できず、南部は追い詰められた形となったのです。
サウスカロライナ州が先頭に立ち、南部諸州が続々と脱退
こうした情勢の中、サウスカロライナ州は1860年12月、最初に連邦からの脱退を宣言しました。これを受けてミシシッピ州やフロリダ州など、他の南部諸州も次々と脱退に踏み切り、南部諸州はやがてアメリカ連合国(南部連合)を結成します。そして1861年、緊張はついに武力衝突へと発展し、南北戦争が勃発したのです。こうして、かつては単なる脅しにすぎなかった脱退の言葉が、アメリカ史上最も悲惨な内戦へと現実のものとなりました。