アメリカ南北戦争(1861年〜1865年)の際、デラウェア、メリーランド、ケンタッキー、ミズーリといった「境界州」は奴隷制を認めながらも、南部連合に加わらず連邦(北軍)にとどまり続けました。リンカーン大統領が「ケンタッキーを失うことは戦争全体を失うことだ」と語ったように、これらの州の去就は戦争の行方を左右する重要な要素でした。では、なぜ境界州は奴隷州でありながら脱退しなかったのでしょうか?主な理由を以下に挙げます。
1. 北部との強い経済的結びつき
境界州は地理的に北部と密接に位置し、経済的な関係も非常に深いものでした。農産物や工業製品の取引、鉄道網や河川交通による物流など、北部市場への依存度は高く、脱退すればこれらの経済的絆が断たれ、州経済に深刻な打撃をもたらすことが懸念されていました。
2. 政治・社会面での北部とのつながり
境界州の多くの住民には、北部に親族や友人がおり、脱退によってこうした個人的な絆を断ち切ることへの抵抗感が強くありました。さらに、境界州には建国以来受け継がれてきた「連邦主義(ユニオニズム)」の伝統が根付いており、原則として国家分裂に反対する人々が少なくありませんでした。
3. 軍事力の脆弱さ
境界州は工業力や人口規模の面で北部に比べて軍事的に大きく劣っていました。仮に脱退して南部連合に加わっても、圧倒的な物量を誇る北軍に対抗できる見込みは低く、開戦すれば自らの土地が最初の戦場になる危険性すらあったのです。実際、メリーランドやミズーリでは連邦軍による早期の制圧が行われました。
まとめ
以上のような経済的・社会的・軍事的要因が重なり、境界州は南北戦争を通じて連邦にとどまる道を選びました。ただしそれは南部への反感がなかったという意味ではありません。境界州の住民の中には南部に同情する者も多く、実際に数万人規模の住民が南部連合軍に志願して戦っています。境界州という存在は、「奴隷制への賛否」と「連邦への帰属」という二つの問題が必ずしも一致しなかった当時のアメリカの複雑な姿を象徴しているといえるでしょう。