アメリカ史における「再建(リコンストラクション)」の時代、すなわち南北戦争後の復興期において、南部諸州は北側から同情的な扱いを受けることはありませんでした。その背景には、複数の重要な要因が絡み合っていました。
1. 反逆者への懲罰意識
第一に、北部は南北戦争の発端を南部にあると考え、連邦からの脱退を「反逆行為」とみなし、南部を罰したいという感情が強くありました。この懲罰的な姿勢こそが、寛容な復興政策への道を最初から閉ざしていたのです。
2. 脱退の永久防止という狙い
第二に、北部は南部が二度と連邦から脱退できないよう、極めて厳しい条件を課しました。具体的には、奴隷制を廃止する憲法修正第13条、アフリカ系アメリカ人に市民権を与える修正第14条、そして黒人男性に投票権を保障する修正第15条の批准を、南部諸州が連邦に復帰するための必須条件としたのです。
3. 北部式の「近代化」の強制
第三に、当時の多くの北部人は、南部を経済的・社会的に「後進的」な地域であり、近代化が不可欠だと信じていました。そのため、北部の価値観や制度を一方的に南部へ押し付ける政策が推し進められることになりました。
4. 北部にも存在した人種差別
第四に、意外に思われるかもしれませんが、北部にもアフリカ系アメリカ人に対する根強い人種差別がありました。多くの北部人は黒人に対して完全に平等な権利を与えることには消極的で、この態度が再建政策の限界を形作る一因となりました。
5. 再建政府の腐敗と非効率
最後に、南部に樹立された再建政府の多くには腐敗や非効率がしばしば見られました。この実態が北部世論に伝わるにつれ、南部全体への評価はさらに悪化していったのです。
結局、南部はどうなったのか
以上のような要因が重なり合った結果、南部は再建期において同情的な扱いを受けることがありませんでした。南部は政治的・社会的に多大な変革を強いられ、戦争と再建による傷跡からの本格的な回復には、長い年月を要することとなったのです。