20世紀初頭まで、アメリカ合衆国は「移民の国」として世界中から人々を受け入れてきました。しかし1921年以降、米国への移民数は劇的に減少します。その背景には、連邦政府による一連の移民制限法制と、世界経済の大変動がありました。本記事では、移民減少をもたらした3つの主要な要因を詳しく解説します。
1. 1921年緊急移民法(Emergency Quota Act)による割当制度の導入
最初の転換点となったのが、1921年緊急移民法です。この法律により、米国は史上初めて本格的な移民割当制度(quota system)を導入しました。
具体的には、各国からの移民数を、「1910年時点で米国に既に居住していたその国出身者の人口」の3%までに制限するものでした。この基準設定は極めて重要な意味を持ちます。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、米国への移民の大多数を占めていたのは南欧および東欧——イタリア、ポーランド、ロシア、ギリシャなど——からの移民でした。しかし1910年を基準年としたことで、これらの国々に割り当てられる移民枠は大幅に狭められ、結果として南欧・東欧系移民は激減することになりました。
2. 1924年移民法(Immigration Act)によるさらなる制限強化
1921年の法律だけでは十分とみなされた政府は、1924年移民法(ジョンソン=リード法)によって規制をさらに一段と厳格化しました。この法律のポイントは次の2点です。
基準年の変更と割当率の引き下げ
割当の計算基準が1910年から1890年に変更され、かつ割当率も3%から2%へ引き下げられました。1890年という基準年を選んだのは、南欧・東欧からの大規模な移民の波が本格化する前の時期だったためです。これにより、それらの地域からの移民枠はさらに縮小しました。
出身国別割当方式(national origins formula)の採用
さらにこの法律は、national origins formula(国民出身別割当方式)を導入しました。これは米国全体の人口構成に基づいて各国の移民枠を配分する仕組みで、実質的に北欧・西欧諸国(イギリス、ドイツ、アイルランド、スカンジナビア諸国など)からの移民を優遇するものでした。一方、南欧・東欧やアジアからの移民は著しく不利な扱いを受けることになりました。
3. 大恐慌(世界恐慌)による労働需要の急落
法制面での制限に加え、経済的要因も移民減少に大きく影響しました。1929年に始まった大恐慌は、米国経済に壊滅的な打撃を与えます。
景気後退により企業の生産活動は縮小し、米国内における労働力需要は急激に低下しました。失業率が高騰する中、移民たちは米国で仕事を見つけることが困難になり、新たに渡航を希望する人々も減少。また、すでに米国にいた移民の中には母国へ帰還する者も現れました。「雇用の機会を求めて来たのに、仕事がない」という状況は、移民の最大の動機を根底から揺るがしたのです。
まとめ:法制と経済がもたらした移民時代の終焉
1921年以降の米国への移民減少は、単一の原因ではなく、以下の3つの要因が複合的に作用した結果でした。
- 1921年緊急移民法:1910年基準の3%割当制度により、南欧・東欧からの移民を大幅に抑制
- 1924年移民法:1890年基準の2%割当と出身国別割当方式により、北欧・西欧系を優遇する構造的な差別を実施
- 大恐慌:労働需要の急落により、移民の経済的動機が崩壊
こうした政策と経済環境の変化により、それまで自由な流入が続いてきた米国への移民は、以後数十年にわたり低水準にとどまることになりました。この時期に確立された移民制限の枠組みは、1965年の移民国籍法改正まで米国の移民政策の基本軸であり続けたのです。