南アメリカの歴史

湾岸戦争はどのように解決されたのか?国連決議と「砂漠の嵐」作戦の流れを解説

1990年8月2日、イラク軍が隣国クウェートへ侵攻し、湾岸戦争(湾岸危機)が勃発しました。この紛争は、国連安全保障理事会による一連の決議と、多国籍軍による大規模な軍事作戦を経て、約7か月で終結へと向かいました。本記事では、紛争解決の鍵となった国連決議と軍事作戦の流れを整理して解説します。

国連安保理決議660(1990年)――侵攻への最初の対応

イラクの侵攻当日にあたる1990年8月2日、安保理は第2940回会合において決議660を採択しました。主な内容は次の通りです。

  • イラクの侵攻を非難し、すべてのイラク軍に対し、1990年8月1日の配置位置への即時かつ無条件の撤退を要求
  • イラクによるクウェートの侵略と占領を終わらせ、クウェートの主権・独立・領土保全を回復する決意を表明
  • 国連憲章の関連規定、とりわけ第42条に言及し、憲章第7章に基づいて行動
  • イラクのクウェート占領の継続を非難し、決議660の完全かつ即時の履行を要求

この決議により、イラクの行為は国際の平和と安全に対する脅威として国際社会に明確に位置づけられました。続く8月6日の決議661では、対イラク経済制裁が発動されています。

決議678(1990年)――武力行使の授権

イラクが一連の決議に従わなかったため、同年11月29日に採択された決議678は、紛争の大きな転換点となりました。

  • クウェート政府と協力する加盟国に対し、イラクが決議660を完全かつ即時に履行しない場合、「あらゆる必要な手段」を用いて同決議を支持・実施し、クウェートの主権・独立・領土保全を回復することを授権
  • すべての国に対し、こうした行動への適切な支援を要請
  • イラクには1991年1月15日までの撤退期限が設定された

これにより、外交交渉による解決の道が閉ざされた場合の武力行使が、国連の枠組みの中で正式に認められることになりました。

「砂漠の嵐」作戦(1991年1月17日~2月28日)

期限を過ぎてもイラクが撤退しなかったため、1991年1月17日、米軍を中心とする多国籍軍は「砂漠の嵐(デザート・ストーム)」作戦を開始しました。

  • 期間:1991年1月17日~2月28日
  • まず大規模な空爆によってイラクの防空網や指揮系統を破壊し、2月下旬から地上戦へ移行
  • 多国籍軍はクウェート国内およびイラク国内のイラク軍拠点を攻撃
  • イラク軍は壊滅的な打撃を受け、クウェートからの撤退を余儀なくされた
  • 2月28日、ブッシュ米大統領の停戦宣言により戦闘が終結

約100時間に及ぶ地上戦の後、クウェートは解放され、亡命していたクウェート政府が帰還を果たしました。

国連安保理決議687(1991年)――停戦の確立

1991年4月3日、安保理は第2978回会合で停戦条件を定める決議687を採択しました。この決議は、決議660以降の一連の決議(660、661、662、664、665、666、667、669、670、674、677、678など)を踏まえ、以下の点を確認しました。

  • 国連のあらゆる努力にもかかわらず、イラクが上記決議に基づく義務を履行しようとしないこと
  • イラクが決議660を遵守せず、依然として国際の平和と安全を損ねていること
  • すべての加盟国が、クウェートの主権・独立・領土保全へのコミットメントを再確認していること
  • イラクによるクウェートへの武力攻撃に対処する個別的・集団的自衛権(クウェートおよび米国から安保理議長宛てに提出された書簡に言及)

決議687は、正式な停戦に加えて、イラクの大量破壊兵器の廃棄と武装解除、クウェートとの国境画定、賠償問題など、包括的な条件を定めたものです。湾岸戦争はこの決議によって法的にも終結しました。

まとめ

湾岸戦争は、「決議660による非難と撤退要求 → 決議661の経済制裁 → 決議678による武力行使の授権 → 砂漠の嵐作戦 → 決議687による停戦」という流れで解決されました。国際社会が国連安保理の枠組みのもとで一致して行動した稀有な例として、現代国際関係史における重要な転換点とされています。