南アメリカの歴史

アメリカの奴隷制度はどこまで過酷だったのか?〜奴隷法典から南北戦争まで

奴隷法典(スレーブ・コード)

奴隷法典とは、奴隷の行動を厳しく統制するために制定された一連の法律です。その主な内容は以下の通りです。

  • 移動の制限: 奴隷は許可なくプランテーションを離れることが禁じられました。
  • 教育の禁止: 奴隷に読み書きを教えることは法律で違法とされました。
  • 市民権の制限: 奴隷には財産の所有、法廷での証言、契約の締結などが一切認められていませんでした。
  • 身体的虐待: 奴隷は鞭打ちや暴行など、日常的に肉体的な虐待にさらされていました。

奴隷反乱

過酷な抑圧の中でも、奴隷たちは自由を求めて何度も立ち上がりました。代表的な反乱は次の通りです。

  • ストノ反乱(1739年): サウスカロライナ州の奴隷たちが蜂起し、約25人の白人を殺害しました。
  • ガブリエル・プロッサーの反乱計画(1800年): バージニア州の奴隷ガブリエル・プロッサーが大規模な反乱を計画しましたが、実行直前に密告され、未遂に終わりました。
  • ナット・ターナーの反乱(1831年): ナット・ターナーが指導したバージニア州での奴隷反乱では、約55人の白人が死亡しました。

地下鉄道(アンダーグラウンド・レイルロード)

「地下鉄道」とは、奴隷たちが北部やカナダへ自由を求めて逃亡するのを助けるための、秘密のルートと隠れ家からなるネットワークです。これは単一の組織ではなく、奴隷の脱出を支援する人々がゆるやかに協力し合う、緩やかなつながりの集合体でした。

南北戦争

南北戦争は、1861年から1865年にかけて、合衆国(北軍)とアメリカ南部連合(南軍)との間で戦われた内戦です。その最大の原因となったのは、奴隷制度の存続をめぐる対立でした。奴隷制度の維持を望む州が南部連合を形成し、これに反対する州が北軍側につきました。戦争は北軍の勝利に終わり、これによりアメリカにおける奴隷制度はついに廃止されました。