1820年のミズーリ妥協(Missouri Compromise)は、アメリカ合衆国の歴史における重要な転換点の一つです。この歴史的な合意を主導した人物として最もよく知られているのは、ケンタッキー州選出の下院議員ヘンリー・クレイ(Henry Clay)です。
ヘンリー・クレイの役割
当時、ミズーリ準州の州昇格をめぐって、奴隷制を認めるかどうかを巡り南北の対立が激化していました。クレイは「大妥協家(Great Compromiser)」と呼ばれたほど交渉の名手であり、対立する両派の間に立って調整役を務め、妥協案の成立に決定的な役割を果たしました。
ミズーリ妥協の主な内容
- ミズーリを奴隷州として連邦に加盟させる
- メイン州を自由州として加盟させ、上下院における南北の勢力均衡を維持する
- ルイジアナ買収地のうち北緯36度30分以北では、今後新たに奴隷制を認めないこととする
一人の功績ではなかった
ただし、この妥協がクレイ単独の業績であったわけではありません。実際には、ジェームズ・モンロー大統領や多数の連邦議会議員たちが関与し、数か月に及ぶ激しい議論と駆け引きの末に成立したものです。つまりミズーリ妥協は、国家の分裂という危機を回避しようとした多くの政治家たちの集合的な努力の産物だったのです。
この妥協により奴隷制問題は一時的に沈静化しましたが、根本的な解決には至らず、後の1850年妥協や南北戦争へと続く緊張の伏線ともなりました。