1901年移民制限法とは
1901年移民制限法(Immigration Restriction Act 1901)は、1901年にオーストラリア連邦議会で可決された歴史的に重要な法律です。いわゆる「白豪主義」の法的な柱となったこの法律は、以下のようなさまざまな仕組みによって移民を制限しました。
1. 移民官および移民制限官の任命
この法律は、法律の規定を執行し、オーストラリアへの入国を管理・統制するために、移民官と移民制限官を任命することを認めました。
2. ディクテーション・テスト(書き取り試験)
この法律で最も有名な規定が「ディクテーション・テスト」です。この規定のもとでは、オーストラリアに到着した移民は誰でも、移民官が任意のヨーロッパ言語で口述する50語の文章を書き取るよう求められる可能性がありました。ヨーロッパ言語の習熟度が低い非ヨーロッパ系移民、特にアジア諸国からの移民を排除することを意図した差別的な仕組みでした。
3. 入国禁止とされた移民のカテゴリー
この法律は、オーストラリアへの移住が禁止される人々のカテゴリーも明示していました。特定の疾病を抱える人々、犯罪者、売春婦、さらに政府が「好ましくない」とみなした人々などが含まれます。
4. 人種に基づく入国禁止
法律第3条には、「ヨーロッパ人の子孫でない者は、オーストラリア連邦に上陸することを許されない」と定められていました。この規定により、非ヨーロッパ系移民の入国が明確に禁止されました。
5. 教育試験の導入
1905年には法律が改正され、教育試験が導入されました。移民はオーストラリアの歴史、地理、憲法に関する筆記試験に合格することが求められました。イギリス系の背景を持つ人々に有利な内容だったため、ここでも非ヨーロッパ系移民を制限することが狙いでした。
6. 労働市場への配慮
労働市場の状況に応じて移民を制限することも可能でした。政府は、労働市場が飽和状態にあると判断した場合や、移民の流入がオーストラリア市民の雇用機会に悪影響を及ぼすおそれがあると考えた場合に、移民を制限または禁止できました。
7. 契約労働者の排除
さらに、特定の条件が満たされない限り雇用主が雇用契約に基づいて海外から労働者を呼び寄せられないようにすることで、他国からの低技能労働者の搾取を防ぐことも目的とされました。
法律の影響とその後の展開
1901年移民制限法は、その後数十年にわたりオーストラリアの移民政策を形作る上で決定的な役割を果たしました。オーストラリアのイギリス的な国家の性格を維持し、非ヨーロッパ諸国からの移民を制限することを目指したこの政策は、1973年になってようやく見直され、オーストラリア政府はより差別のない移民政策への転換を始めることとなりました。